欅平駅を出発して以来、ずっと地下を巡ってきたが、上部専用軌道の途中に一瞬だけ、地上に出る区間がある。山と山の間に流れる黒部川を渡る鉄橋だ。鉄橋上には関西電力黒部専用鉄道の仙人谷駅が設置されており、ここでしばし停車し、列車から降りて景色を楽しむことができる。
鉄橋上からは、目の前に仙人谷ダムがドーンと見える。黒部川第三発電所へ発電用の水を送るためのダムだ。現在までのルートは、黒部川第三発電所を建設するために造られ、後に黒部川第四発電所まで延伸された。
仙人谷を出発すると、間もなく上部専用軌道の終点である黒部川第四発電所(略称:黒四)に到着する。あの黒部ダムにより貯められた水を電力に変えるための発電所だ。
「黒部に怪我なし」という言葉の“恐ろしさ”
黒四では発電所内部の見学、そして、黒部ダムがいかにして造られたのかという歴史を学べる。
黒部ダムと黒部川第四発電所の建設以前、関西電力の管内では深刻な電力不足により戦後復興が遅れており、さらに停電による死者も発生するなど、電源開発が急務となっていた。そこで、関西電力の太田垣社長は、黒部峡谷での水力発電ダム建設を決断する。
当時、立山連峰に挟まれた黒部峡谷は、人が足を踏み入れることさえ命がけという秘境だった。過去に何度も挑戦と失敗を繰り返してきた黒部峡谷での水力発電に、社運を賭けて挑んだ。
工期は最初から7年と決まっていた。完成すれば関西の電力需要を一気に賄えるが、工期が遅れれば、関西の電力、ひいては関西の経済が破たんする。のべ1000万人の作業員を投入し、工期7年で見事完成したのが黒部ダムなのだ。これにより、関西の重工業が発展し、戦後復興と経済成長が支えられた。
一方、その裏では多くの犠牲も伴った。当時のダム建設現場では「黒部に怪我なし」という言い伝えがあったほどだ。当時の建設現場では、多くの労災事故が発生していたが、黒部での事故=死を意味し、怪我ですむことはないとまで揶揄されていたという。
黒四で4基の発電機や発電機内の水車、コントロールルームを見学した後は、私がこのツアーで最も楽しみにしていた「インクライン」に乗車する。インクラインとは、急こう配に設置される傾斜鉄道で、分かりやすくいえばケーブルカーだ。旅客営業用のものをケーブルカー、産業用のものはインクラインと呼び、区別されている。