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ウイスキーにおいて、「クラフト」が使われる発端

 ウイスキー文化研究所の土屋守先生によると、実はクラフトウイスキー、クラフトウイスキー蒸留所という言葉が使われはじめたのは2013年以降のことで、それ以前はマイクロ蒸留所、マイクロディスティラリーと呼ばれていました。そして、ウイスキーにおいてクラフトという言葉が使われる発端は、スコットランドにあったということです。

 当時、スコッチには容量2000リットル以下のポットスチルを認めないという不文律が存在し、小規模のクラフトウイスキー蒸留所の参入を阻んでいました。しかし、2010年に「スコッチ・クラフト・ディスティラリー・アソシエーション」が組織され、ロビー活動を続けたことで、2012年に2000リットルの規制が撤廃されます。そして翌13年から続々とスコットランドにクラフトウイスキー蒸留所が誕生し、その波は全世界に波及していったのです。

©GYRO_PHOTOGRAPHYイメージマート

日本の小規模ウイスキー蒸留所

 日本における小規模ウイスキー蒸留所のさきがけは、2007年に創業した、ベンチャーウイスキーの秩父蒸溜所です。当時は日本のウイスキーはどん底の時代であり、大手メーカーですら苦しい状況でした。ウイスキー事業はキャッシュフローが悪く、膨大な初期投資が必要で、大規模資本しか参入できないと思われていたため、無謀な挑戦ともいわれました。しかしそのような声に反して、そこからのウイスキーの人気の高まりのなかで大成功を収めます。

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 この秩父蒸溜所の成功こそが、その後にクラフトウイスキー蒸留所が相次ぎ設立されることにつながりました。2011年には本坊酒造が19年間休止していた駒岳蒸溜所でのウイスキー製造を再開しています。

 蒸留所の新たな設立には、用地の選定から免許交付まで少なくとも5年はかかります。そのため、構想から新しいウイスキー蒸留所の設立までは少しタイムラグがあり、日本での“勃興”の動きが表面化したのは2015~16年頃のことです。このときに設立されたのが厚岸(あっけし)蒸溜所やマルス津貫(つぬき)蒸溜所、ガイアフロー静岡蒸溜所などです。