暗黒舞踏の創始者として国際的に評価される土方巽(1928〜1986)。その声に取り憑かれてきた詩人の吉増剛造氏がその特異な魅力を綴る。
“とってもさみしねくてねェ”と語りはじめられる土方巽の声に心を奪われて、その声根に耳を澄ましつづけて、40年が経った。この歳月は河のながれに喩えるよりも、沼や淵、あるいは水溜りに思い掛けずもその縁(ふち)に立ち止まってしまって、過ぎ去って行ったといえるだろうか。
40年という、決して短かくはない時の淵に佇んで、わたくしが見たひかりの正体を、この機会に考えてみたい。

土方巽氏が亡くなられたのが、1986年(昭和61年)1月21日。遅れて御香典をお持ちした時に、御夫人の元藤燁子さんがこれをと下さったのが、香典返しのLPレコード『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』(命名、吉岡実氏)だった。このLPは1976年8月、アスベスト館における、大内田圭弥監督による映画『風の景色』撮影の際に、〈舞踏譜〉として土方巽が語った言葉の録音とされている。
わたくしは6年間かけて、この未聞、未知の土方言語を文字に起こし、書物化した。それが、『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』(土方巽著・吉増剛造筆録、1992年、書肆山田刊)である。
これは物書きの業のようなものかも知れないのだけれども、いつしか土方のこのLPの声を一心に書き写すということをしていたのだ。土方巽の声の魔力、あるいはその瘴気(しょうき)に誘い込まれるようにして、聞きとるための耳を作ろうとしていたのかも知れなかった。あるいはこれは日本語の別の根を探す、掘り起すことであったのかも知れなかった。いや、もっともっと深い闇のようなものがひそんでいる筈なのだ。おそらく、わたくしは未知の言語に触っていたのだ。
土方の踊りつつ間断なく行われる発語が、生きたまま化石になったように固定された、奇蹟であった。
これは、「舞踏」でも「文学」でもない、勿論「芸」でも「芸術」でもない、怖るべき言語宇宙の出現としか言いようがない。たとえば、このように。
もう、なぁ、わたしはもう水溜りにころぶことがただただこわくて、恐くてね、それからひとのことばをね、暗誦するようになってしまってね、うん。どーんーーぞいって下さい。どーーんーぞいって下さい。どーーーんぞいって下さいっていってねぇ……嘘でもいい、うそでもいいよ。うそだって何だってあったほうがいいんだ。うん、うそだっていいよ。無(ね)ぇよりあったほうがいいじゃない。
(引用は『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』土方巽著・吉増剛造筆録より。以下同)
北秋田の人のトーンらしいのだが、土方の声根に耳を澄まして、この“どーーんぞ”を聞きとったときに、わたくしの耳は、「方言」とも「唄」ともいえない言葉の翳(かげ)りを聞いた。このちいさな“ん”は、幼児語にも似ているし、さらには、幼児語以前の赤子が持つという胎児の言葉にもおそらく通じている。
幼い頃から、小文のはじめにしるしたように、沼か淵、水溜りの縁に佇むようにして、わたくしの渇いた心は、言葉の仕草、物腰、イントネーションのようなものに耳を澄ましつづけて来ていた。そのように、言葉を獲得し、また土方巽の言語を聞き取っていった。
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