熱海への夜行タクシー

菊地 成孔 音楽家・文筆家
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 僕は1963年生まれなので、幼少期は高度成長期で、思春期はインフレとオイルショックで不景気。反対に10代後半から20代は、バブル前夜からバブルで日本中が浮かれていました。僕らの世代の人たちは懐かしいこともワクワクしたことも、高度成長期とバブル期に集中していると思います。不景気の時のことは覚えていません。

菊地成孔氏(本人提供)

 僕の家は千葉県銚子市の歓楽街で飲食店をやっていました。当時はまだまだ地方の歓楽街に元気があった。銚子は漁業が盛んな、というか漁業しかない港町で、任侠の人や遠洋漁業のマグロ漁の人などワイルドな人しかいません。暴力も身近で、背広を着て会社に行くような人たちの世界には縁がない環境で少年期を過ごしました。そんな中でも懐かしく思い出すのは、映画館のこと。当時は5社協定があったので、映画館も東宝館・東映館・松竹館と分かれていた。歓楽街のど真ん中に家があって、家から出て左に曲がると松竹館、右に曲がると東宝館。テレビをつければ絶えず昔の映画が流れている。当時の映画館はだいたい2本立てだから、家の内と外で計5本の映画がずっと流れている状態でした。しかも、映画館はうちのお隣さんだから、顔パスで入れて、僕はませていたので、幼稚園から映画館通い。クリシェですけど、希望に満ちていた高度成長期は、僕にも実感としてあって、明日はもっと良くなると思っていた。5歳児の希望ですけどね(笑)。その気分は5本の映画に常に取り囲まれていたことによって、つくられていた気がします。映画館が実家の両脇を固めていたことはクリエイターとしての自分の何かを決定していると思います。

 1970年前後の映画産業は傾きかけていました。それでカンフル剤的に行われていたのが、子ども向け映画を数本まとめて興行する『東映まんがまつり』や『東宝チャンピオンまつり』。学校が休みの時期にアニメ映画や特撮映画を無理矢理まとめて、のぼりを立てて、グッズも売って、お祭りをやるんです。普段あまり映画を見ないようなクラスの子がお小遣い持ってワクワクしながらやってくるんですが、こっちは常連ですから、「あ、来てたの?」みたいな感じで、優越感がありました。

水道水に何か入っていた?

 バブル前夜からバブルに入っていく時代のこともよく覚えています。地方のひとって、普通に東京に出てくるだけでもワクワクする。僕が上京したのは1982年。バブルが始まろうとしている頃でした。その頃の東京にいられたのは、かなりの選ばれし者だったなって、今でも思っています。

 当時同居していた、最初の妻は赤坂のクラブでチーママをやっていて、ものすごく給料がよかった。僕も最初はヒモだったんですが、バブル後期にアレンジャーとスタジオミュージシャンを始めたら、ものすごくお金が入ってくるようになった。2人の給料が振り込まれたら全部銀行から下ろして、通帳の残高を常にゼロにする。それで現金を全部こたつの上に置いておくんですよね。彼女の仕事が終わって帰ってくるのが夜の1時なので、僕はそれまで適当に遊んで、帰ってきたらこたつの上から現金を握ってタクシーを捕まえてDCブランドの服を着てディスコに行く、みたいな生活でした。バブル期はもうずっとこんな感じで、水道水の中に何か入ってるんじゃないかってぐらい、起きた時からバキバキにハイですよね。全員がバキっている。今でいうチルの正反対です。夏なんて太陽までバキってるから、もう誰にも止められない(笑)。

ディスコで踊る若者たち(1988年) ©朝日新聞社

 特にバキっていた象徴的な一日があります。妻と彼女の店のホステスさんたち、それから今でいう太客の人たちで、タクシーを4台ほど捕まえて、飲みながら夜中に熱海に行った。熱海に着いたら朝になったけれど、「朝風呂だ!」なんて言って、混浴で岩風呂があるところを、温泉ガイドを買って調べた。着いた頃にはもうベロベロ。僕は宿に着くなり宿帳に名前を書いて、そのまま脱ぎながら大浴場に向かって岩風呂にバーンと飛び込んだ。そしたら足を滑らせて露出した岩に頭をバッカーンと打ちつけたんですよ。それで額が割れて不自然なぐらいの大量の血が出て、みんな大爆笑。僕もハイすぎて痛くないから大爆笑。止血せずに寝て、起きたら血まみれでした。

 バブル期はそんなふうに、いつかは終わる祭りだけれど終わるまでは楽しもうと思って、毎日バキバキにハイでした。

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source : 文藝春秋 2025年9月号

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