本誌9月号に掲載したエッセイ特集「戦後80年の懐かしいとワクワク」、楽しんでいただけたでしょうか。
この企画を思いついたきっかけは、昭和歌謡のベスト100を選ぶ本誌の座談会(2024年12月号)でうかがった、藤原正彦さんの「懐かしさはものすごく高級な情緒なんです。人間は必ず朽ち果てるという定めの下で生きているという、根源的な悲しみがわかっていないと、その感情を抱けないからです」というご発言でした。

戦後80年の記憶というと、東京五輪や大阪万博などがよく取り上げられますが、私たちが生きるよすがとしている記憶は、もっと小さくてかすかな、でもそれをときおり思い出すと自分が確かに存在していたことを実感でき、自分をいたわれるものではないか。そのような思い出を記憶力や観察力、洞察力にすぐれた方々に綴っていただいたら、興味深いのではないかと思い、20名の筆者にご寄稿をいただきました。藤原正彦さんに書いていただいた、敗戦後の東京の焼け跡のなかで営まれた幸せに満ちた一家団欒、中島京子さんに綴っていただいた、ジャネット・リンにまつわる思い出、菊地成孔さんに語っていただいた、バブル時代のハイな気分などなど、皆さんのとっておきの「懐かしいとワクワク」が集まりました。
編集を終えて、昭和50(1975)年生まれの私の「懐かしいとワクワク」は何だろうと考えてみたとき、心に浮かんできたのは、銀座2丁目、並木通りにあった日本映画専門の名画座、並木座でした。
そこに初めて足を踏み入れたのは、1990年代初頭、高校生のとき。この映画館が素晴らしかったのは、1年通うと小津、溝口、成瀬、黒澤など日本映画の必見の名作を一通り見られることでした。

地下1階の100人ぐらいしか入れない映画館に来ている観客のほとんどは、往年の日本映画を懐かしんで見に来た高齢者です。座席が空いても我先に座るのは、はばかられます。2本立ての映画館なのですが、2本連続立ち見したこともありました。クーラーが入っていたのか記憶が定かではないのですが、入っていたとしても夏の客席は暑かった。
あるとき、映画が始まり白黒の画面に配役やスタッフの名前が流れていくと、隣のご老人が「この人たちはもうみんないないんだね」と呟きました。幽明の境が溶け合う、あの世の波打ち際にいるような気持ちになりました。
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