山の手大空襲、シベリア抑留…青山霊園の「墓地茶屋ちばや」で戦時下の歴史に触れた

vol.124

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 歴史ある霊園には「お茶屋」と呼ばれるお店があることをご存知でしょうか? お茶屋といえば京都の花街や両国国技館の相撲案内所を思い浮かべる方が多いと思いますが、霊園内のお茶屋は、お花やお線香の販売から、石材店の仲介などお墓にまつわる一切を請け負うお店を指します。

 10月号では、『ブランド霊園のひみつ』と題し、高い人気を誇る全国のブランド霊園を特集しました。その取材で、青山霊園内にあるお茶屋のひとつ「墓地茶屋ちばや」の店主・高橋良江さんにお話を伺いました。明治7年、青山霊園の開園と同時に創業したちばや。ここでは記事で掲載しきれなかった、ちばやの歴史を紹介したいと思います。

ちばやの外観 ©文藝春秋

 今年米寿を迎える良江さんはちばやの五代目店主で、若いころは別の場所で花屋を営んでいました。

「私は両親が祖父母から継いだちばやを手伝いながら、六本木に自分の花屋をオープンしました。1960年代のことです。自分で言うのもなんですが、当時は結構流行りのお店だったんですよ。六本木や銀座の高級クラブからの依頼が多くて、派手なアレンジメントをよく配達していました。イタリアで買い付けたくまのぬいぐるみに花束を持たせたアレンジメントを作ったら、クラブのホステスさんの間で『かわいい』と話題になったんです。顧客には、当時売れっ子のボーイだった美輪明宏さんもいました」

供花の販売が主な業務 ©文藝春秋

 その後、妹と一緒に本格的に跡を継いだものの、良江さんにとってはお茶屋を継いだというよりは花屋の延長のような感覚だったといいます。150年以上続くちばやですが、その長い道のりの間には、数々の苦労もありました。

「今、ちばやの隣には港区のコミュニティセンターがありますが、昔はそのあたりまでうちの店舗だったんです。ところが太平洋戦争が勃発すると、私たち一家は強制疎開を余儀なくされました。家族みんなで千葉県館山市の那古という地域に疎開し、父は出征しました。当然、お茶屋の仕事もできません。

 でも疎開先では、比較的のんびり過ごせていた方だと思います。浜辺で『波の子』と呼ばれる貝をとってきて御御御付の具にしたりね。この時は、ちばやのある青山が大空襲で大きな被害に遭ったことも全く知りませんでした」
 
 1945年5月の山の手大空襲で、青山霊園周辺をはじめ、東京の山の手地区(赤坂、青山、渋谷、新宿など)は壊滅的な被害を受けました。空襲翌日から、表参道交差点には火や熱風で亡くなったご遺体が山のように折り重なっていたそうです。

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