受賞のことば 畠山丑雄
小説は昔から「取り違え」を書いてきた。『嵐が丘』に “Heʼs more myself than I am.” とある。
当たり前であるが、彼は私ではない。だからふつうは彼が私以上に私である、ということはありえない。
しかし「ボヴァリー夫人は私だ」とか「おらあトキだ!」とか言う人に対して、「あなたはトキではありません」などと注意・指導しても仕方がない。当人からすれば、それはやはり本当のことだからである。
小説を読んでいると、そういうことがおこる。登場人物もそうだし、読んでいる人間も、しばしばフィクションと現実を取り違えてしまう。
『叫び』の主人公である早野も、そのような取り違えを犯す人間である。その愚かさと弱さを大いに笑っていただければ、これほど嬉しいことはない。
〈略歴〉
1992年、大阪府吹田市生まれ。京都大学文学部卒業。2015年、「地の底の記憶」で第52回文藝賞を受賞しデビュー。
受賞者インタビュー 畠山丑雄

人は「大きな物語」がないと生きられない
――畠山さんは2015年に「地の底の記憶」で文藝賞を受賞してデビューし、それから11年が経った今年、「叫び」で芥川賞を受賞しました。子どものころから本の虫だったのですか?
畠山 文学に目覚めたのは、大学入試の問題文を通してでした。高校まではサッカー少年で、読むものといえばマンガ一辺倒。書店に行っては週刊、月刊のマンガ雑誌を片っ端から読んでいました。
小さい頃から藤子不二雄、手塚治虫が好きで、母親や姉もマンガが好きやったので、川原泉、大島弓子、よしながふみ、佐々木倫子などの少女マンガも少年マンガと同様に親しんでいました。
――大学入試ではどのような文章に出会ったのですか?
畠山 大学入試の国語の問題で、堀江敏幸さんの「送り火」や中島敦の「文字禍」、幸田文の「流れる」を読んで、「世の中には文章のうまさというものがあるんだ」と衝撃を受けました。
浪人して京都大学の文学部に入ったのですが、さすがにこれだけ本を読んでない状況で行ったら馬鹿にされるんじゃないかと思って、国語教師で本好きの父にまず読んでおくべき本を訊いたら、3冊薦めてくれたんです。クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』、ローレンス・ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』、『エリック・ホッファー自伝』。読んでみると、当然わからないこともいっぱいありましたが、圧倒されました。本ってメチャクチャおもろいなと。本を読んで涙を流したのも、ホッファーの自伝が初めてでした。初心者にはシブくて、容赦のない選書でしたが、今では父に感謝しています。
――そこからどのような文学を読んでいったのですか?
畠山 近代日本文学では、夏目漱石、谷崎潤一郎、森鴎外、三島由紀夫、大江健三郎と、みんなが通るようなルートやと思います。外国文学では、ディケンズやオースティン、スティーヴンソンなどの19世紀のイギリス文学が特に好きで、現代作家のグレアム・スウィフトも好きだったので、英文学を専攻しようと思っていました。
でも、ある英文学の教授の授業を予習もせずに受けたら、こっぴどく怒られてしまって……。そこでアメリカ文学の授業を覗いてみたら、あの若島正先生がいらっしゃった。その時は知らなかったのですが、チェスや将棋の世界でも大変著名な先生で、専門はウラジーミル・ナボコフでした。ナボコフは当時僕が好きだったウィリアム・フォークナーに否定的な評価を下していたので、自分の興味の方向とは違うかもしれないと思ったのですが、熱のこもった先生の講義に惹かれて、結局はアメリカ文学を専攻することになりました。
京大をギリギリ満期で卒業
――自ら執筆しようと思ったきっかけは何だったのですか?
畠山 大学では最初、文化人類学をやりたいと思っていたのですが、それを研究できるのは、京大では文学部ではなく、総合人間学部だったんです。
それなら文学研究をしようと、色々なゼミを覗いたのですが、どこもあまり性に合わなかった。卒論を指導していただくことになる若島先生の講義も、その熱には惹かれましたが、内容は正直なところ、僕が聞きたいこと、知りたいことではありませんでした。でも、とにかくエネルギーは余っている。なら自分で小説を書こうと。
――デビューしたときは、5回生だったそうですね。
畠山 4回生の夏、サッカー部の合宿中にその応募原稿を推敲していたことを今でもよく覚えています。それで翌年デビューするわけですが、授業にまったく出ていなかったので、結局、7回生まで大学にいました。8回生までいられると思っていたら、親切な大学事務の方から、「7回生までしかいられないから、このままだと放校になりますよ」と教えられて、なんとかギリギリ満期で卒業することができました。
――「丑雄(うしお)」というペンネームは、創作を始められたときに付けたのですか?
畠山 付けたのは、2015年のデビュー時です。夏目漱石が芥川龍之介に送った手紙のなかに僕が好きなフレーズがあるんです。かいつまんで言うと「人は功名を焦って馬になりたがるけれども、そうではなく、牛になって図々しくゆっくり進んでいきなさい」という内容です。
僕の目には、当時の純文学の世界では、新しいタイプのポップな私小説が流行っているように見えました。僕は逆立ちしても、そういうものは書けないし、あまり興味も湧かなかった。だから、自分の小説は、しばらく日の目を見ることはないやろなと思いました。そこで周囲に流されず、自分のペースを守って書き続けていけるように「丑雄」というペンネームにしたんです。
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