時代を切り拓く“異能”の人びとの物語を、新進気鋭のライターたちが描く連載ノンフィクション「令和の開拓者たち」。今回の主人公は、北海道知事・鈴木直道氏です。
破綻した夕張から叩き上げた男は、次に何を見据えるのか?
札幌の空に初雪が舞った11月7日の北海道本庁舎3階の会議室は、外とは対照的に熱気でムッとした。
50人もの報道陣が詰めかける中、東京五輪のマラソンと競歩の開催地変更の決定を伝えるため入ってきたのは、82歳の森喜朗大会組織委員会会長。全国最年少38歳の知事鈴木直道がこれを迎える。終始、神経質な表情を崩さなかった。
「成功にむけた気運に水を差すような状況にしてはならない。森会長はじめ組織委員会には、汗をかいていただきたい」
きっかけはドーハ世界陸上の競歩や女子マラソンで棄権が続出したことだ。ただ、唐突な変更を“外された”と受け取った東京都知事小池百合子が「涼しい所なら北方領土でやったら」と言い放ったことで、状況はささくれだった。
元凶は、ドイツ人の国際オリンピック委員会(IOC)会長トーマス・バッハが唐突に打ち出した“愛のない決定プロセス”にある。
確かに、移転決定は選手の安全を高めるには合理的な判断ではあった。だが10月16日の方針発表時点で、すでに開会式まで282日。決定権限で押し切る説明は、人生をかけてきた選手やファン、あるいは暑さ対策に心血を注いできた東京都や納税者たちの心に寄り添うものではなく、振り回された分だけ、報道内容も荒れた。
抗議が道庁や札幌市に相次ぐ一方、下敷きとなる北海道マラソンのコースの1部についてテレビのワイドショーが「景色も応援する人もいない。実況泣かせ」と伝えると、「#札幌dis」とハッシュタグをつけて反論するネット投稿も殺到した。
コース設計や警備体制の確立など実務上の課題もあるが、対立イメージによる気運の減退は、大会全体に影響するより大きなリスクとなる。気を抜けない局面での会談だった。
マラソンと競歩の札幌移転決定後、森喜朗大会組織委員会会長と
「汗をかいて」という言葉を用いて不協和音の芽を取り除くこと、経費負担を札幌市や北海道につけ回さないことを求めた鈴木は、森から「迷惑をかけないようにしたい」との答えを引き出した。「大御所に生意気」と批判も出たが、すぐに消えた。
“持っている男”
鈴木は、東京五輪と不思議と縁のある男である。石原慎太郎が都知事に就任した1999年に都庁に入庁。9年後、16年大会招致が本格化する頃に全国で唯一財政破綻した自治体、北海道夕張市に応援職員として派遣された。11年4月の夕張市長選を制し市長に。13年9月に五輪の20年大会の東京開催が決まるが、IOC総会直後のブエノスアイレスで陣頭指揮していた当時の知事、猪瀬直樹と中継した民放番組のスタジオに、石原と一緒に出演して喜びを分かち合っている。
森との会談の直前に私がインタビューした時、鈴木はいきさつを振り返った上でこう言った。
「携わってきた人たちに大きな戸惑いがあることは、かつて都にいた者としてよく分かるんです。私も成功に向けて協力する1人でありたい」
10月の知事就任半年にあたり新聞は「〈鈴木カラー〉影潜め」と書いた。元々、歯切れのよい方とは言い難い。役人出身らしく、両論に行き届くよう説明に言葉を尽くすからだ。だが、不思議なことに勝負所でこの人には出番がくる。
いわば“持っている男”である。
鈴木知事
マラソンは2時間を要するロード競技で、中継を通じて、札幌の街並みを世界にアピールできる。経済の牽引役として外国人観光客を現在の1.6倍の500万人に増やすという高い目標を掲げる道庁にとって、達成にまたとない足掛かりを得た。
しかも札幌市は30年冬季五輪招致に名乗りを挙げている。通常2、3年はかかると言われるマラソン大会を短期間で成功に導けば、ホストシティとしての能力を示すことができる。さらに市長の秋元克広が夕張市出身。夕張市長から転じた鈴木と関係が良いのも巡り合わせだ。
窮迫した家庭状況をバネに
元々道内人口の4割が集中する札幌市が道府県とほぼ同格の政令指定都市だから、権限の多くを移した道知事職は、仕事が見えづらい。そんな鈴木の足元に、リーダーとして力を示す機会が転がり込んできた。
元衆議院議員の石川知裕との1騎討ちとなった4月の知事選を、鈴木は65万票余りの大差で制した。
訴えたのは「唯一の財政再建団体・夕張市政2期8年の実績」だ。夕張市は新千歳空港から車で道東道を走って1時間ほど。北海道のほぼ中央にある炭鉱の町は、財政破綻によって国管理となり、人口流出が加速した“課題先進地域”である。
市長になって7年目にあたる17年、国に働きかけ、“借金返済最優先”だった財政再生計画を破綻から10年の節目に変更し、将来への投資もできるよう見直しにこぎつけ注目を集めた。夕張に来た当初から鈴木がこだわった持論でもある。
ではなぜそれを為し得たか――。そう依ねると、自分のこととなると分析は難しい、と前置きして言う。
「残念ながら『これをやり遂げたい』という志が先にある人間ではなかった」
鈴木の人生を決定づけた「東京都への就職」も「夕張行き」も、迫られた状態で選択したに過ぎない。
鈴木は埼玉県春日部市に生まれ、小学1年から三郷市で育った。高校2年で両親が離婚し、母と姉との暮らしは窮迫する。汲み取り式トイレの低所得者向け住宅に移り、姉は短大を辞め働き始めた。鈴木も、高校に通いながら引っ越し業者やスーパーの品出しのアルバイトで家計を支えた。公務員を選んだのは、行政に助けられた経験があったからだ。
東京都の採用試験を受けた際はいったん進学を諦めかけたが、翌年に法政大学法学部の夜学に入学。体育会のボクシング部にも入部し、都庁(昼)、大学(夜)、部活(深夜)という超多忙生活をこなす20代前半で心身は鍛えられた。
猪瀬氏
副知事だった作家の猪瀬直樹が「首都公務員は120点満点。プラス20点は日本全体のために働く」と夕張派遣プランをぶちあげた際も、候補と告げられてから悩み、最終的に手を挙げることにした。
「できない理由」を探さない
ただ、夕張での鈴木を知る者たちに取材を重ねると、独特の“戦い方”があったことに突き当たる。極限状態の現場を歩き、住民に影響を受けつつ感得したスタイルである。
「市長になるとは想像もしていませんでしたけれど、普通の公務員とは違っていました。できない理由を探そうとしない男なんです」
そう評するのは、応援職員として夕張市にやってきた当初、毎晩遅くに鈴木が夕食を買いに通ったセイコーマートの当時の店長、本田靖人(46)。4年前、鈴木に請われて市議になった人物だ。
自分で始めた桜まつりを開くキャンプ場で鹿の糞拾いに人手が欲しかった本田は、鈴木に声をかけた。現場で「これをはけ」と手袋を差し出すと、鈴木は怪訝な顔をした。手袋をはくという方言には、千葉県生まれの本田も戸惑ったものだ。
東京の就職先から本田が向かった初任地は札幌。北海道拓殖銀行勤めだった今の妻と結婚した24歳の時、夕張で酒屋を営む義父からコンビニをやらないか、と誘われた。妻が退職した直後の1997年11月、拓銀は経営破綻し、バブル崩壊の象徴的な事件になる。本田夫妻が移った先の夕張市の破綻のニュースは、その9年後にやってくる。
移住直後の本田の夕張の印象は、山の中なのに飲食店といえば寿司屋ばかり、という不思議な光景だ。事故の危険と引き換えに高い報酬を手にできた炭鉱マンはいつ死ぬかわからない、だから毎晩、好んで寿司屋の暖簾をくぐってばんばんお金を使ったものだと聞いた。
だが60年代以降、国のエネルギー政策の転換で人口は急減し、ピーク時に12万人いた人口は破綻当時で10分の1、現在は15分の1の8000人にまで落ち込んでいる。
80年代、石炭会社から住宅や水道施設を買い取るため夕張市は300億円以上の負債を負い、観光に活路を求める。79年から6期務めた市職員出身の市長は第3セクター方式で遊園地や博物館を次々と建設。その数は破綻直後に処分対象になった施設だけで実に29にも上る。
本田の印象に残っているのは03年に完成した〈郷愁の丘シネマのバラード〉だ。炭鉱住宅跡に建てた平屋に、「西部警察」で使われたスカイラインなど映画の遺物を並べ開業したが、客の姿を見ることなく閉館した。6億4千万円もかけてつくられたが素人目にも無駄とわかり、市は自転車操業なのだと察せられた。
市長の死後も市の決算は表面上、05年度まで黒字。巨額の赤字が表面化しないよう、市は会計間で行う「一時借入金」という制度を悪用し、金が回っていると装っていた。
しかも破綻の見通しを公表する直前、呆れたことに市は、まるで健全な自治体と同じように夏のボーナスの増額支給を決めていた。これがスクープされると、市民から激しい市役所批判が湧き起こった。
夕張の財政再建団体の指定を決めたのは、当時の総務大臣の菅義偉(現官房長官)である。ボーナスの件について知った菅は総務省の課長を叱り、17年3月に定めることになる再建計画について「徹底的に厳しくやれ」と命じた。
353億円を18年で返す。税収8億円の夕張市で、国からの地方交付税などと併せて毎年26億円もの額を返済に回さなければいけない。「行政サービスは全国最低レベル、住民負担は全国最高レベル」に設定された。住民税は均等割が3000円から3500円(14年から震災復興財源の加算で4000円)に負担が増えた。7つの小学校、4つの中学校はそれぞれ1つに統廃合された。
夕張で確立した「巻き込む技術」
市職員給与の4割減の方針が示されると、同規模の市の平均の2倍、300人近くいた市職員は次々と辞め100人になり、整理された3セク職員も町を去った。実際、07年だけで人口の1割近い846人が夕張から転出している。
反対にやってきたのはメディアで、テレビは決まって腰が曲がり杖をつくお年寄りが街を歩く風景を切り取った。取材に訪れた大物キャスターが「行政が悪い」「市長を選んだ市民が悪い」と“断罪”するのを見て、本田は反発を覚えたという。
「長く1人の市長に委ねた責任はあるけれど、財政がそんなになっていることは想像もつかない。でもわかりやすいんでしょうね。市と市長を選んだ市民に責任を押し付ける〈自己責任〉という言い方は広がって、厳しい計画が固定化してしまった」
国や道の責任を問う可能性はあったはずだが、「そこにはフタをされた」と本田は感じていた。
本田が翌年に市民活動として桜まつりを始めたのは、悔しさからだ。
公衆トイレの清掃や廃校になった学校の周りの除草など、行政の機能縮小を補う市民グループが次々とできた。市の財政では担えないなら、住民がボランティアでやるしかない。
そんな頃に現れたのが鈴木だった。本田は、「いつも飛び込む先を貪欲に探していた」と感心するが、当の鈴木は苦笑いして振り返る。
「観光協会でチラシをつくるのに高齢のスタッフはパソコンを使えないでしょう。手書きのイメージを私が代わりに打ってあげると、使い勝手がいいなんていう噂が地域のキイパーソンの間に出回る。すると別のグループの打ち合わせに呼ばれ、その次の回には〈企画推進委員〉と肩書がついたりした」
キネマ倶楽部、役所若手の会、読み聞かせの会……と増えていき、気づくと8つものグループに入っていた。ただこれが鈴木流の基礎になる。「巻き込まれやすさ」は才能で、夕張で磨かれ、次第に「巻き込む技術」として確立されていく。
ピンチをチャンスに
鈴木はよそから来た一住民として、再建計画に違和感があった。
派遣時代の上司、寺江和俊(57)には鈴木から提出されたA4判2枚にびっしり書かれたレポートが記憶に残っている。
夕張の住民が〈第2の閉山〉と口にするその苦しみはよく理解できること、そして今の政治のあり方が弱者に冷たいのではないかと問いかける内容で、「大人しい都会っ子」と見ていた寺江は見る目を改めた。
再建計画の制約で、新たな行政サービスを打ち出す余地はなかった。保育園に生じた雨漏りでさえ市の一存では修復費用を捻出できない。だが希望のない町を見限った住民の人口流出が続くなら、絶望のスパイラルへと陥ってしまう。
鈴木は「政治力も弱い小さな町に過大な問題が置かれている」と感じていた。本来、住民の声をすくいあげるのは政治の仕事だが、「自己責任」を問われている夕張には色がついており、政治家には手を出すメリットがない。問題が可視化されない、というジレンマがある、と。
とはいえ、そんなピンチでも「できない理由」でなく可能性に目を向けるあたりが、鈴木らしかった。
「夕張が直面している少子化や財政難といった課題は、同時に日本全体が背負っているもので、ここで先に表面化しているだけ。全国で“自分ごと”と受け止めてもらえたら、課題先進国の課題先進地域になる」
ここからの行動力は、圧巻だ。
1年の予定だった派遣期間の1年延長を志願した。その間に、参加していた市民団体に諮り、間近に迫っていた地方財政健全化法の改正に併せて再建計画についての全世帯アンケートを企画する。「要望が出てもかなえきれない」と夕張市は反対、「派遣の立場でやることか」と東京都も反対したが、学生の力を借りて2週間で全世帯の4分の1、1600世帯から意見を聞き取り、150ページの報告書を作り上げた。しかもするすると段取りをつけ民主党政権の総務副大臣、渡辺周に持ち込みニュースに仕立ててしまった。
除雪基準の見直しなど反映されたのはごく一部だったが(返済期間は2年延長で26年までの通算20年に変更)、粘り強くやり通した行動は住民に強い印象を植えつけた。
3時間も話せば理解しあえる
2年2か月の派遣期間終了時の送別会には仲間が50人も集まった。感激した鈴木は、会が始まった直後から終わるまでずっと泣いていた、とゆうばり国際ファンタスティック映画祭の運営会社を経営していた澤田直矢(51)は証言する。
11年4月の夕張市長選で30歳、全国最年少の市長となる鈴木だが、前年の夏、「新しい風を吹かせたい」と引っ張り出したのは澤田や本田ら若手経済人たちだ。しかもそのグループの中には、アンケートに強く反対した人物もいた。いつの間にか支援者の1人になっていた。
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source : 文藝春秋 2020年1月号