昭和43(1968)年に「火垂るの墓」「アメリカひじき」で直木賞を受賞した野坂昭如(のさかあきゆき)(1930―2015)。「芥川賞・直木賞150回記念随筆」で、自身を「元来天(あま)の邪鬼(じゃく)である」と評した野坂との思い出を、53年寄り添った妻の暘子(ようこ)さんが語る。
2人はよく喧嘩をした。というより、気長に付合ってくれたというのが正しいのだろうが、結婚して間のない頃だ。洗濯物を干す私の横にさりげなく立つ野坂さん。「青天ですね、今あなたはお日様に向って堂々と下着を干している」それが何か?と私。

「奥床しいという美しい日本語がある。その下着の横にレースのハンカチがちょっと寄り添うように干してあったら、それはあなたを百倍も美しくする」冗談じゃありません、洗濯物は堂々と干してこそ、お日様と風がパッと乾かしてくれる。私はそれが好き。あなたの下着、タオルの影に干しましょうか? 私も勢いっぱいイヤミを言う。初夏の日差しが眩しい頃だった。先日、洗濯物を干しながら、なにげなく下着の横にハンカチを干す。天を仰ぐ真面目くさった野坂の横顔を思い出し、思わずクスリと笑う。
四谷三丁目、広い敷地に小ぢんまりとした数奇屋造りの小さい家。以前は彼の祖母に当る人が住んでいたとか。取り敢えずの仮住まい。朝の光が部屋いっぱいに差し込んでいる。また寝坊してしまった。彼はいない。
隣り合う四畳半の和室が彼の書斎だった。そっと覗く。背中が仕事中。手拭いでハチ巻。厳しい様子が見て取れる。私はそっと、その隣の台所で朝食の仕度をする。この頃、どうにか料理がそれらしくなってきた。彼に教えられたようにお米を磨ぐ。丁寧に出しを取って味噌汁を作る。誰だったかに味噌汁のコツとして仕上げに塩を小匙一杯入れよ、と耳打ちされた。具は豆腐と油あげ。さて新婚の食卓です。
塩鮭、シラスおろし、納豆にネギ、青菜のお浸しなど、いつもこんな感じだった。

彼は新聞を読み終り、味噌汁を一口飲む。ンッ? 何も言わず食べ終りすぐさま書斎へ。私は忘れものをしたような感じのまま一人食事を済ませる。ある日知人に聞かれる。
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