きっかけは、朝に弱い受験生の息子だった。「起きなさい!」と叫ぶのに疲れ、ある朝めざましがわりに作ったスープがミラクルを起こす。息子がむくりと起きてきたのだ。それ以来、毎朝ずっと作り続けて、もう8年になる。「スープ作家」という冗談のような肩書きもそのまま、50を過ぎてスープの先生。予想外の人生を歩み始めた。息子はすでに社会人になり、家を出ている。
いざ仕事にしてみると、単においしいスープを作ればいいという話でもなかった。スープの定番といえば、ポトフやコンソメ、ミネストローネ、飴色たまねぎのオニオングラタンスープなどが思い浮かぶ。だが、初めてのレシピ本『365日のめざましスープ』を作ったとき、定番スープを入れたいと言ったら、編集者が渋い顔をした。
煮る時間がかかるもの、洗う切るの作業がたくさんあるもの、特殊な道具を使うもの。こうしたメニューは台所で自然淘汰が起こっていて、人気がない。
それも仕方のないことで、専業主婦のいる家庭が圧倒的に多かった時代と、共働き家庭が当たりまえになった今の時代では、ライフスタイルそのものが全く違う。加えて、スマホなど、タイムイーターの存在も見逃せない。料理は買い物からごみの後始末まで含めるとかなりの作業量だから、なるべくシンプルなオペレーションにしておかないと、続かない。
鍋ひとつでできて、目をつぶって作れるほど簡単で、身近な食材と家にある調味料で、たっぷりと野菜がとれるスープ。できることならインスタ映えしてほしい。料理する人の望みをとことんかなえた本作りをした。
しかし、上には上がある。次にやってきた若い編集者は「料理が苦手でずぼらな私にもできるスープの本を作ってほしい」といった。試作してレシピを出すと、この素材は使ったことがない、これもダメという。他に何かある? と聞いたら「たまねぎとにんじんとキャベツです」ときっぱり答えるので耳を疑った。どれも家庭料理の定番素材。使わない料理本にお目にかかったことがない。しかし理由を聞くと、たまねぎはあの薄い皮をむくのがめんどうだし、にんじんは煮えるのに時間がかかる。キャベツは大きくて1人暮らしの小さなまな板に乗りきらないと、それなりに納得もいく。じゃあ、たまねぎは長ねぎに変えよう、キャベツは手でちぎったらと、工夫しながらレシピを作っていった。
彼女は、キャベツは買わないと言いつつ、アボカドや甘酒など流行の食材はどんどん取り入れた。表紙にはスープの上で落とし卵を割った、いわゆる「SNS映え」的な感覚のある写真を使うなど、編集が面白かった。
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source : 文藝春秋 2020年3月号