女房は高校生の頃、理系に行こうか文系に行こうか悩みに悩んだという。数学と英語が好きだから理系かといえば物理、化学が嫌い、文系かというと日本史、世界史といった暗記科目が嫌いだったらしい。最も得意だったのは5歳から続けてきたピアノで、小さなコンクールに出たほどだったが、父親に「プロになれるのは天才だけ」と言われ泣く泣くプロの道を諦めたという。ある時、女房が私に聞いた。「あなたはどうやって数学者になる決心をしたの」「小学校5年生の時に郷里信州の隣村出身の小平邦彦先生が、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞をとった時だ。アサヒグラフに家族の写真がのっていて格好よかったから、迷わず数学者になろうと決心した。しかもその後、その決心は一度も揺らがなかった」「どうしてそんなに簡単に決められるの」「人生、思い込みだ。あとは突っ走るだけ。自分の能力を疑わないことだ」。女房は「あなたみたいな単純な人はいいわね」と、半ば呆れたように、半ばうらやましそうに言った。
松下幸之助はかつて、自社の就職試験の面接で、「あなたは自分が運のいい人間と思いますか」と尋ね、運がよいと思っている人間だけを採用したという。よい仕事をなしとげるには楽観が何より必要、と知っていたのだろう。
数学の世界でも同じだ。数学者の仕事とは未だかつて解かれたことのない問題を解くことだ。取り組む前にいくつもの不安が胸に去来する。自分にそんな問題を解くだけの才能があるのか。それに、もしかしたらその問題は現代の数学水準を超えているかも知れない。例えば、100兆までに素数がいくつ位あるか、私ならものの5分で計算できるが、大天才ニュートンは一生かけても歯が立たないのだ。取り組む前ばかりか、証明が行き詰った時にも同じ不安が頭をもたげる。楽観的でないと問題にとりかかることも、証明を完遂することもできない。
フィールズ賞受賞者のポール・コーエン教授は、親切だが一風変わっていた。新しい問題を見せられると必ず開口一番、「オー イッツ ソー イージー」と言ったらしい。そう言ってしばしば解けなかったそうだが。あの天才でも、あの天才だからこそ、楽観的になることが必要であることを熟知していたのだろう。
楽観の重要さを身にしみて知っている私は、3人息子を育てる時、いつも励ますことを心がけた。悪いことをした時は無論張り飛ばしたが、独創的な考えを示した時とか、弱い子や仲間外れの子にやさしくした時などは、誉めまくった。幼稚園にいた3男が「お祭りでもらった風船は、初め天井についているけど、何日かたつと床に落ちてくるよ。でもそれを窓ガラスでキューキューこすると、また天井に上って行くよ」と言った時。小学校4年生の次男が、不登校の続く友達を無駄と知りつつ毎朝、回り道をして迎えに行っていた時などだ。息子達は、女房に似て性格はイマイチだが、悲観により自らの能力に足枷をはめる、というような人間にはならなかった。
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source : 文藝春秋 2020年4月号