佐賀県

ルポ・地方は消滅しない 第44回

葉上 太郎 地方自治ジャーナリスト
ニュース 社会
地方自治ジャーナリストの葉上太郎さんが全国津々浦々を旅し、地元で力強く生きる人たちの姿をルポします。地方は決して消滅しない――
使用_地方・イラスト(佐賀県) JPG
 
イラストレーション:溝川なつみ

和牛暴落、コロナ禍に立ち向かう

「どこまで下がるのか」

 佐賀県農協(JAさが、本所・佐賀市)の技術参与、立野(たての)利宗さん(72)は頭を抱えていた。4月中旬のことである。立野さんは「佐賀牛」のブランドを作り上げたキーマンで、定年退職後も技術参与として同県の和牛生産を引っ張ってきた。

 和牛は子牛の繁殖農家が約9カ月育てて子牛市場へ出荷する。これを競り落とした肥育農家が約20カ月太らせて食肉市場へ出荷する。同県で肥育された最高級の和牛は「佐賀牛」と名付けられ、全国でもトップブランドの1つに数えられている。

 だが、「今日の食肉市場では雌の1頭当たりの取り引き価格が平均70万円弱にしかなりませんでした。以前は100万円以上していたのに、このところ3割以上も暴落しているのです」と焦りの色を隠せなかった。

 現在食肉市場に出荷されている雌牛は、子牛で買われた時には平均70万円強だった。つまり、肥育農家が20カ月かけて育てても、子牛だった時の値段以下にしかならないというのである。

「肥育には餌(えさ)代などで1日当たり約800円の経費がかかります。約20カ月だと約50万円。これが全て農家の赤字になっています。肥育牛は120万円で取り引きされても採算ラインのギリギリなのに、農家は生活費どころではありません」

 原因は新型コロナウイルスだ。外出自粛要請で外食産業がダメージを受け、特に和牛を出すような高級レストランは軒並み休業した。福岡空港から行ってきた海外への輸出も航空便が相次ぎ休止された。

 スーパーの消費も景気が冷えると値段の安い豚肉へ傾く。だが、需要の高まりを受けて豚肉の卸価格は下がっておらず、肉屋はそれほどもうからない。では、どこで利益を確保するのか。食肉市場価格が暴落している和牛だ。小売りの販売値段を下げなければ、利幅が大きい。そうなると消費者はさらに買いしぶるので、在庫が増えて食肉市場での暴落が進む。こうした悪循環で苦しむのは農家である。

「いつまで耐えればいいのか、全く先が見通せません」。同県上峰町の江頭豊さん(66)はうなだれる。

 約120頭を肥育する江頭さんは佐賀でも有数の手腕を持つ畜産農家だ。数々の品評会で入賞してきた。肉質を追求してきたので、競り値の高い子牛を導入している。その分、赤字幅が大きい。「妻と2人で作業をしています。労賃を支払わなくて済むから持っているようなものです」とうめくように語る。

「それでもまだ他県産に比べると佐賀牛は市場で買い支えてもらっている」と江頭さんは言う。これは江頭さんや立野さんが中心になって「佐賀牛ブランド」を作ってきた過程に秘密がある。

 かつて佐賀県産の肉牛は、家畜商に安く買い叩かれるだけの存在だった。「これでいいのか」。1982年に30代前半で肉牛担当になった立野さんは問題意識を持った。和牛産地として名を馳せていた島根県などを若手農家と視察し、手探りで肉質の向上を目指した。和牛はデリケートな生き物だ。餌に涎(よだれ)がついていたら食べない。何頭かで飼うと押し退けて餌を食べる牛と遠慮する牛が出てしまう。このため牛舎をきれいにし、各頭に目配りをし、夏は暑くなる前に餌をやるなどのきめ細かい飼養管理をすると、肉質が上がり始めた。農家の知恵を集めて独自の配合飼料も開発した。

 そして84年、脂肪交雑が細やかな肉に「佐賀牛」と名付けた。

「現在も人口が80万人ほどしかない佐賀県は、目立った観光地もなく地味なイメージです。県内消費や来県者に食べてもらうだけでは生産量は上がりません。そこで全国で食べてもらおうとブランド化を図ったのです」と立野さんは振り返る。

 ブランド化はなかなか進まなかった。それどころか市場で安く買われた後、神戸牛や松阪牛などとされて高値で売られることさえあった。肉質は高かったのである。

 たまりかねて88年、「もう名乗ってもいいでしょう『佐賀牛』」という捨て身のキャッチコピーでテレビCMを流したが、それでも「佐賀牛」として扱ってもらえなかった。

 転機は2001年に訪れた。牛の脳がスポンジ状になるBSE(牛海綿状脳症)が国内で発生したのだ。この病気は、牛の脳や骨、内臓などを肉骨粉(にくこつぷん)と呼ばれる餌にして、牛に食べさせたのが原因とされ、給餌された牛を調べるために、出生から出荷までの履歴をたどるトレーサビリティ制度が導入された。結果として偽装が出来なくなり、佐賀牛として売られるようになった。

 ただ、数ある産地の一つにしか見られなかった。

 そこで、07年に香港へ輸出を始め、アメリカやアジア諸国へと拡大させていった。海外で名前を売ることで、国内の知名度を上げようという作戦だった。

「国内の農産物の価格は市場で決められるため、農家は関われません。唯一関与できるのは供給量です。少しでも海外に出すことができれば、国内の流通量が減って高く売れるのではないかという計算もありました」と立野さんは説明する。

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source : 文藝春秋 2020年6月号

genre : ニュース 社会