地方自治ジャーナリストの葉上太郎さんが全国津々浦々を旅し、地元で力強く生きる人たちの姿をルポします。地方は決して消滅しない――
イラストレーション:溝川なつみ
世界に冠たる屋敷林を守れ
絶景、というほかない。
富山県砺波(となみ)市の屋敷林である。地元ではカイニョと呼ぶ。
山上の展望台から見ると、大海のような砺波平野いっぱいに、カイニョを持つ農家が数限りなく浮かんで見える。田んぼに水を張った田植えの時期は、1年で最も美しい。
大海に浮かぶ小島のように、カイニョを持つ家が連なる砺波平野
富山市出身の松田憲さん(72)が魅せられたのは、砺波市生まれの妻と結婚したからだ。大手商社に勤めて東京などに住み、乾燥したイラクでは大学建設にも携わった。
「砺波の緑は世界でも有数の素晴らしさです。退職が迫るにつれ、カイニョがある地域で暮らしたいと思うようになりました」と話す。
2012年に砺波市へ移り住み、学生を招く活動を始めた。「都市生まれで、田舎を持たない若者が増えている。第2の故郷を作ってあげたい」と考えたからだ。
方言を研究する富山大教授の紹介で14年から、東京、静岡、大阪、福岡などの大学のゼミ合宿を個人で誘致した。古民家を転用したカイニョのある宿泊体験施設に泊まり、地元の高齢者と会話をしてもらう。松田さんの働きかけで、市は学生が1泊2000円で泊まれるよう「第2のふるさと発見事業」を創設した。年間5〜6校、これまでに計500人以上が砺波を訪れたという。
「学生達を展望台に連れて行くと、誰もが感動します。特に留学生は目を奪われるようです」と、松田さんは話す。常連校では大学祭で砺波の魅力を紹介しているほか、卒業後に個人で遊びに来る人もいる。
砺波平野の景観は長い年月をかけて作られた。
山深い岐阜県に源流を発した急流・庄川は、峡谷を抜けた砺波市で、運んできた土砂を堆積させる。約220平方キロメートルもの扇状地、砺波平野である。
扇状地は水はけがいい。砺波の田んぼは「ザル田」と言われるほど水持ちが悪く、農家は頻繁に水を見て回らなければならなかった。このため家を水田の真ん中に建てた。
集落の形態には、家が集まる集村と、点在する散村(散居(さんきよ)村)があり、砺波では典型的な散居村が発展した。だが、散居村の家は風にさらされる。砺波の季節風は特に強い。
防風林としてカイニョを巡らせ、風の強い西側や南側にはスギを中心にした高木を配置した。竹も植えて農作業で使った。庭にはカキ、クリ、イチジクといった果樹、ツバキなどの花木も育てて楽しんだ。
カイニョのある暮らしは極めて合理的だった。「家の傷みが少ないので、ほとんど修繕の必要がありません」と話す人もいる。
落ち葉や枝はかき集めて2階に貯め、炊事や暖房の燃料にした。灰は灰小屋に貯蔵し、田畑にまいて肥料に使った。
高木になると伐採し、家の建て直しや修繕、家具の材料にした。
夏は涼しい。木陰になるだけでなく、葉の蒸散作用で気化熱が奪われて気温が下がる。焼けつくようなアスファルト上とは10度以上違い、冷房機がない家もあるほどだ。
カイニョは農村型の循環システムでもあったのだ。このため砺波には「高(土地)は売ってもカイニョは売るな」という言葉まであった。
ところが、時代が変わり、農業では生計が立てられなくなった。
貴重だったはずの落ち葉や枝は使い道のないやっかい物になった。若者が都市部に流出すると、高齢者だけでは剪定(せんてい)や落ち葉の掃除ができなくなる。剪定せずに放置して森のように生い茂り、薄暗くなった家が増えた。剪定や掃除ができたとしても、法律で野焼きが禁止され、農村では当たり前だった焚(た)き火で燃やすこともできなくなった。
倒木への不安は増大した。気候変動が進むにつれ、台風などでカイニョが大量に倒れるようになった。
こうした結果、カイニョを伐採する家が増えた。
「気づいたら伐(き)られていたということがよくあります」。砺波市農地林務課の道中彩耶花(みちなかさやか)さんは話す。
亡くなった前市長宅でも立派なカイニョが伐採された。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2020年7月号