テレワークで問われるのは、上司のマネジメント能力だ。コロナ禍で「テレワーク」に踏み切れない人は、自分の無能さを白状しているようなものである。
出口氏
オンライン講義の手応え
今回の新型コロナの流行は、社会に不可逆的な変化をもたらし、中長期的に見れば、コロナの「前」と「後」では、まったく異なる世界になると確信しています。
僕も過去にはない経験をいくつも積むことができました。僕が学長を務める立命館アジア太平洋大学(APU)は、2月20日に、卒業式と入学式の中止を決めました。これは、政府が小学校、中学校、高校の臨時休校を要請した日より1週間ほど早く、全国の大学に先駆けての決定でした。
これについては、一部のメディアで「先見性と決断力がある」と評価していただいたのですが、僕の立場では当然の意思決定で、ちょっと面映いというか、見当違いです。
あの時点では、卒業式などを中止しても決行しても、必ず責任を問われる状況でした。中止して何事もなければ「卒業生の身にもなってみい。何をビビったのや」と責められ、決行して感染者が出れば、「危機管理が甘い!」と責められる。
しかも、感染症という専門的な問題です。それなら、専門家の意見を聞いて、愚直に従おうと考えました。そこで学校医に尋ねると、「卒業式には世界中から2500人ほど集まるからコントロールできません。医師としては、リスクが高いので中止したほうがいいと考えます」という見解でした。
APUは、学生のほぼ半数が海外からの留学生です。90もの国や地域から家族も含めて2000人以上が集まれば、そのなかに感染者がいても不思議ではありません。
万が一、最初にクラスターが発生すれば、記者会見を開くことになるでしょう。記者から「専門家の意見は聞きましたか?」と質問されて、「校医は中止すべきだとの意見でしたが、学生の気持ちを重視しました」では通りません。
もちろん、「他大学の対応も見ましょう」という意見もありました。しかし飛行機やホテルの手配を考えると、早く決断しなければ学生も家族も困ります。ですから、他大学に先駆けて2月20日に公表しました。学長としての説明責任をきちんと果たそうと考えたら、誰でも同じ結論に達したはずです。
それから間もなく、新学期について対策を立てました。9月までの前期は、すべてZoomを用いた「オンライン講義」にする、教授会なども原則「オンライン会議」にする、子連れ出勤やテレワークを進める、等々です。一気にオンライン化を進めるため、学生や教職員に必要なIT環境を急いで整えました。
日常化したオンライン会議
「オンライン講義」は、5月7日から本格スタートし、まったく問題なく進められています。僕自身も2度、100人から200人の学生に向けてオンライン講義を行いました。
実際に体験すると、チャット機能で学生たちが質問やコメントを自由に書き込めるなど、リアルな講義にはないコミュニケーションがとれました。理科系学部の実験を伴う授業などは難しいでしょうが、文科系学部の講義や講演には十分使えるという手応えを感じました。
今回、企業でも「テレワーク」や「オンライン会議」が広まり、多くの人のITリテラシーが高まり、「自宅でも仕事ができる」「集まらなくても会議ができる」と、働き方の認識を改める好い機会になったのではないでしょうか。コロナ後の世界では、「新しい生活様式」が広がり、働き方についてもITを駆使した「ニューノーマル(新常態)」が確立されるきっかけとなるはずです。
疫病が歴史の転換点に
世界の歴史を紐解けば、疫病が歴史の転換点となった先例がいくつも見られます。たとえば、14世紀の黒死病(ペスト)は、欧州では人口の3分の1が死んだといわれるパンデミックでしたが、その後にイタリアでルネサンスが起こりました。ボッカッチョの『デカメロン』を読めば、フィレンツェでペスト疎開した人々が語り合う物語を通して、人々の価値観や人生観が大きく変化したことがわかります。
今回の「ステイホーム」も、日本人に似たような転換をもたらすでしょう。「テレワーク」を経験した知人は、「心配していたほど仕事に支障は生じなかった」と異口同音に話しています。なかには「会社で働くより生産性は高い」という人もいます。業務に集中する時間は同じでも、それ以外のムダが省けるからです。
「つきあい残業」がなくなる
日本の「労働生産性」が低い理由として挙げられるのが「長時間労働」です。フルタイムで働く人の労働時間は、30年前からずっと年間2000時間前後。先進国では最長という不名誉な状態が続いています。
この「長時間労働」を生む原因の一つが「つきあい残業」です。「上司や同僚が残っていると帰りにくい」という職場の空気があり、急ぎの仕事がなくてもなかなか帰れません。しかも「どうせ残業するのだから」と朝からダラダラ働くのが習慣化するという悪循環が生じています。
ある企業の働き方改革で、午後6時に全員をオフィスから追い出す仕組みにしたら、みんな残業なしでも業務が片づくようになったといいます。会社を出る時間が決まっていれば、頑張ってその日の仕事を終わらせるからです。
さらに、「つきあい残業」とセットで習慣化しているのがムダな「飲みニケーション」です。上司が帰り際に「1杯やってこうか」と声をかけ、上司に言われれば、部下もお供するしかない。赤ちょうちんで上司からいつもと同じ話を聞かされ、翌日も疲れが残って、また朝からダラダラ働くことになる。それが週に2度3度もあれば、会社にとって大きな損失です。これでは、「労働生産性」が高まるはずはありません。
このまま「テレワーク」が定着すれば、日本独特の「つきあい残業」も、上司とのムダな「飲みニケーション」も、間違いなく減るでしょう。
最近は、家で友だちと「オンライン飲み会」を開いているという話をよく聞きます。
僕も何度か実践してみました。相手は気のおけない友だちや学外の知り合いなどです。そのほうが楽しいし、刺激にも勉強にもなるからです。赤ちょうちんで上司にお酌しながら説教されるのとは大違いです。
ある大手企業の社長は、「出口さん、部下を評価するには麻雀が1番ですよ」と話していて、「この会社では社長と麻雀ができないと役員になれないのか」と呆れてしまったことがあります。
日本の会社には、こうした古い働き方や古い価値観にもとづく「オッサン文化」が根強く残っていますが、「テレワーク」は、単なるIT化に留まらず、職場の「オッサン文化」を駆逐し、日本の企業風土を一変させる大きな可能性を秘めています。
テレワークで仕事が「見える化」
「テレワーク」は、各自の担当業務が明確に区分けされていなければうまく機能しません。従来のように、上司が「細かいことはみんなで相談しながら進めて」と現場に丸投げができないのです。
初めに管理職が業務を細かくバラし、最終的に「全体」をうまく組み立てられるように個々の「部品」を予め設計し、それを部下に適切に割りふる必要があります。仕事の目的を説明し、最終ゴールや手順も示さなくてはいけない。業務指示書やマニュアルを作成する必要も出てくるでしょう。
つまり、「テレワーク」では、管理職がグローバル基準で働くことが求められます。言い換えれば、それだけ管理職の能力が問われるわけです。
さらに、業務が明確になれば、人事評価のあり方も変わってきます。従来は担当業務があいまいなために、個々人の「成果」の測定が困難で、夜遅くまで残業する社員が「頑張っている」と高く評価されました。これも「長時間労働」の一因です。
「年功序列」とは、突き詰めれば、「長時間労働」が評価される仕組みです。「成果」ではなく「業務態度」による評価です。「ステイホーム」ではなく、「ステイオフィス」。勤続年数にしろ、労働時間にしろ、「できるだけ長く職場にいる」ことが評価のモノサシだったのです。
今回のコロナ禍でも、「テレワーク」に踏み切れない上司がいます。もちろん「テレワーク」に不向きな業務もありますが、「部下が目の前で働かないと評価ができない」と。これは、自分の無能さを白状するようなものです。
つまり、「テレワーク」は、さまざまな仕事を「見える化」するきっかけとなるのです。それぞれの「業務」が「見える化」され、個々人の「成果」や「能力」が「見える化」される。とくに上司は、「マネジメント能力」が「見える化」されます。能力があれば、若くても管理職に抜擢され、能力がなければ何歳になっても管理職になれない。長い目で見れば、「年功序列」は息の根を止められるでしょう。
「子連れ出勤」の生産性
従来の「オッサン文化」「年功序列」で、最も不利益を被ってきたのは女性ですから、「テレワーク」は、女性活躍を後押しすることにもなります。
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source : 文藝春秋 2020年7月号