国際日本文化研究センター准教授・磯田道史の「感染症の日本史」第6弾。100年前のスペインについては、江戸時代と比べるとはるかに精密な記録が残されている。今回、紹介するのは10代の皇太子であった昭和天皇や、弟宮の秩父宮、総理大臣・原敬のスペイン風邪感染から治癒までの経過である。
磯田氏
皇族の記録は詳細
100年前のスペイン風邪に、皇族や政治家が、どのように感染していったのか? 今号では、それを見ていきます。この頃になると、江戸時代よりも、はるかに精密な記録が残されています。感染前の行動や症状、なかには治療の詳細までわかるものがあります。
前号では、江戸時代にも、「遠慮(自粛)」の制度があったこと、ただ、その主目的は、天皇、将軍、藩主への感染防止だったこと、にもかかわらず彼らも感染を完全には免れなかったことを古文書から読み解きました。
新型コロナの世界流行は年内に収束しそうになく、各国の対応も“経済”か“感染予防”かで揺れています。しかし、この問題は二者択一ではありません。スマートな感染対策で死者・重症者を抑えなければ、消費も経済も回復させようがないのです。歴史にも学び、対策をすすめるしかありません。
とくに、皇族が罹患した記録は詳細です。当時、昭和天皇はまだ10代の皇太子でしたが、スペイン風邪に感染しています。弟宮の秩父宮も罹患し、こちらは重症となっています。昭和天皇は『昭和天皇実録』が、秩父宮は『雍仁親王実紀』が編さんされ、感染から治癒までの経過が、ことこまかにわかり、今日にも大いに参考になります。
総理大臣も感染しました。当時の総理は原敬です。彼は『原敬日記』を残しています。この日記は極めて詳細で、大正の政治史はこの日記なしでは書けない一級史料ですが、これを「インフルエンザ患者としての原敬」という視点で読むと、また新たな姿がみえてきます。
原敬
原が出席した3密会合
原は、スペイン風邪の本格的流行が始まった秋に、第19代の内閣総理大臣になりました。大正7(1918)年9月29日、立憲政友会の総裁として「日本初の政党内閣」を組織しました。日本史に残る大事業に乗り出したまさにその時、パンデミックが起きていました。そして原自身が「流行性感冒」にかかってしまうのです。
『原敬日記』から、感染前の行動が詳しく分かります。
大正7年10月23日の項に、〈閣議を官邸に開く〉とあります。当時は、第1次世界大戦の真っ最中で、議題は〈国防充実問題〉という厄介なものでしたが、見逃せないのは、この後の原の行動です。
〈交詢社の晩餐会に招かれ閣僚と共に出席せり〉
交詢社は、明治13年に結成された社交クラブです。福沢諭吉が提唱し、慶應義塾の関係者や実業家が多い、親睦団体でした。「政党内閣」の応援者も多く、原としては、軽視できない会合です。
問題は、この時、スペイン風邪の「第2波」が押し寄せていたことです。会員限定の社交クラブですから、当然、密閉空間です。多くの会員が一堂に会して食事をとります。名刺交換もさかんになされたかもしれません。原は、連日のように午餐会、晩餐会に出席し、まさに密閉、密集、密接の「3密」のなかを駆けまわっていました。支援目当てに、政治家が財界人の宴会をハシゴして回る今と変わらぬ姿です。
交詢社の会合の前々日(21日)は工業倶楽部の晩餐会に出席し、翌日(24日)は〈国産奨励会〉に出席しています。
ちなみに〈国産奨励会〉とは、国産のハムやワインなどを賞味し、広げようという会合です。原は〈大概の品は西洋料理に差し支えなきも、洋酒は到底問題にならぬほどの品質なり〉と、国産の洋酒を酷評していますが、問題は、「3密状態」で飲食をしていることです。
さらに閣議を終えた25日夜は、社団法人となった北里研究所の祝宴に出席しています。
感染症の世界的権威、北里柴三郎が設立した日本一の感染症研究所でした。原は、皮肉にも、その北里研究所主催のパーティーに出席した翌日、病に倒れるのです。
北里研究所の会合で感染?
〈26日 伊藤公の命日というにつき、午後、谷垂の墓所に赴けり。午後3時の汽車にて腰越別荘に赴く。昨夜北里研究所社団法人となれる祝宴に招かれ、その席にて風邪にかかり、夜に入り熱度38度5分に上がる〉
〈29日 午前腰越より帰京、風邪は近来各地に伝播せし流行感冒(俗に西班牙風(スペインかぜ)という)なりしが、2日間ばかりにて下熱し、昨夜は全く平熱となりたれば、今朝帰京せしなり〉
腰越別荘とは、鎌倉の腰越に原敬が建てたもので、現在では、原の出身地盛岡に移築されています。激務の続いた東京から、鎌倉の別荘に帰った夜に発熱し、それから2日間、寝込んだというわけです。医師からスペイン風邪だという診断を受けたのでしょう。
感染場所として、原自身は、北里研究所の晩餐会を疑っているふしがありますが、潜伏期間を考慮すれば、21日の工業倶楽部、23日の交詢社、24日の国産奨励会と、全て可能性があり、どこで感染しても、おかしくない状況でした。
しかし、これは、「政党政治家」としての原の宿命でもありました。財界や産業界、医学界などの有力者たちと交流を絶やさないことは、「選挙対策」として、立憲政友会総裁の最重要の仕事だったからです。
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