江戸の「生活・医療支援」

感染症の日本史 第5回

磯田 道史 国際日本文化研究センター教授
ニュース 歴史
国際日本文化研究センター准教授・磯田道史の「感染症の日本史」第5弾。江戸時代のの「自粛」や「隔離」も、多大な経済的負担を伴った。そんな中、為政者たちはどんな手を打ったのだろうか。今回、紹介するのは「名君」と呼ばれた米沢藩・上杉鷹山の患者支援策である。
磯田道史氏
 
磯田氏

強毒化の余地を与えるな

 収束に向かっているように見えた新型コロナの流行が、ぶり返し、感染者が再び、増える傾向にあります。本連載では、初回から、歴史の教訓として「第2波・第3波の可能性」を警告しましたが、現実となり、残念です。

 5月初旬の段階で、私は危惧して、読売新聞に、こう書きました。

「外出解除が早すぎると、痛い目に遭った歴史もあり、これまた厄介である。100年前の『スペイン風邪(インフルエンザ)』の時、米国のサンフランシスコ市やセントルイス市は外出解除を焦って、たちまち感染第2波が生じ、その分だけ、死者を増やし、長引いて、経済被害も増えた」「感染の波が1度弱まった時、政治家が危険を過小評価しがちな点には注意の必要がある」

 経済か感染予防かの二者択一論は間違いです。スマートな感染予防がなければ経済もありません。

 ニュージーランドの例を見ての通り、まず水際対策が大切です。感染者が1度減っても、しばらく待ち、経済を徐々に解除するのが正解です。

 ワクチン開発や弱毒化の確認までは、制限の解除と緩和を適切に繰り返し、経済を回すしかありません。我々はウイルスの風向きにあわせて、ひっぱったり、ゆるめたりの「凧あげ経済」をするしかないのです。

 不幸中の幸いで、スペイン風邪の時とは違い、日本の新型コロナは現状、強毒化はしていません。

 重症者→死者を出さないために、迅速なPCR検査と重症リスクの高い人の早期ケアが大切です。いま重症者が少なめだからといって、感染速度を速めると、ウイルスに強毒化の余地を与えてしまいます。この局面では、政治は、観光キャンペーンより医療現場への支援を優先すべきです。

 このように、現在も経済への対応で国内が揺れています。では、江戸時代、為政者たちは、感染症にどう対応したのか。今回は、その点を検証してみたいと思います。

江戸時代の“薬”の処方

 いま新型コロナの治療薬の開発に各国が取り組んでいますが、江戸時代にも、感染症に“薬”が処方されました。参考になるかもしれないので、江戸の感染症治療漢方薬について、やや詳しく記しておきます。

 享和2(1802)年「アンポン風」の際には、「悪寒、発熱、頭痛、咳、喉の渇き」といった症状に「始めは葛根湯や麻黄湯の類が用いられ、後には柴桂湯や小柴胡湯が用いられ、皆快癒した」との記録があります(「枳園随筆」)。

 現在でも、葛根湯は風邪の初期症状に、小柴胡湯は風邪が長引いた時に用いられる漢方です。

 我々の体の免疫抵抗力は「感染やワクチン接種で獲得する免疫(=獲得免疫)」だけでなく、「生まれつきある免疫(=自然免疫)」も含めた全体で構成されています。

 漢方薬のなかには、ナチュラルキラー細胞など、「自然免疫」の力をアップさせるものがあるとの研究報告もあります。特効薬でなくても、江戸の処方は全くの“当てずっぽう”ではないのです。今回のコロナでも、補中益気湯など幾つかの漢方薬がよく売れています。

 文政4(1821)年「だんほう風」の記録には、「関東では、西国よりも、患者の症状が当初から激しく、さらに悪化する勢いだったが、柴桂湯、葛根湯、小柴胡湯などによって速やかに治った」とあります(「時環読我書」)。

「津軽風」と呼ばれた文政10(1827)年の流行り風邪の記録にも、「文政4年、文政7年の疫と同じく、小柴胡湯で治り、劇症は少なかった」(「時環読我書」)とあります。

 安政元(1854)年の流行り風邪の記録には、「正月から2月まで、風邪が都下に大いに流行し、その正月に米国の黒船が横浜沖に来た時のことだったので、『アメリカ風』と呼ばれたが、葛根湯、柴葛解肌湯などによって治した」とあります(「疫邪流行年譜」)。

 感染症に対する“医療支援”も行われていました。

 江戸だけで10万人以上の死者を出した「安政のコレラ」に関して、大坂の史料「近来年代記」にこうあります。

「大坂の道修町の薬屋たちが、8月23日、24日、25日に、ボランティアで『虎頭殺鬼雄黄円』という薬を提供した」。ただ、勇ましい名前の薬でも、「効果はなかった」ようです。

 さらに史料を読み進めると、「大坂東町奉行所の『御上』から、法香散という薬が施された」とあります。

 法香散というのは、実は、うどん粉の貼り薬で、コレラには無効です。大坂の奉行は、お上と民衆の目があるので、何かしようと、慈悲・仁政のつもりで効かぬ「うどん粉薬」を急いで配り、「実績」にしたのです。

 ただ江戸期の日本が、すでに“医療福祉”を行う社会で、感染症流行時に、公権力が、医療品を配布した事実は評価されます。今回のコロナ禍でも世帯ごとにマスク2枚が配られましたが、小さく配布も遅れたため、不評でした。

「感染症流行時、政権は医療品を配るが、その内容には疑問符がつく」のが、江戸期以来、我が国の傾向なら、ここらで改善せねばなりません。為政者は「視線」よりも「実効」を気にして対策をとるべき。これが歴史の教訓です。

江戸の「自粛」

 コロナ禍では、税金や保険料や大学の学費の納付の猶予や免除が行われていますが、江戸時代にも、感染症流行に伴う“免除”が行われています。

 まず流行り風邪の時には、寒気対策で「チョンマゲ」の規制緩和がなされました。たとえば、享和2(1802)年「アンポン風」を記録した「天保集成絲綸録」に、「風邪が流行っているので、長髪でまかり出てもよい」「お供の者を減らしてよい」とあります。大名旗本の江戸登城の際に、随員数を減らしました。感染で随員確保が難しくなるのと、いまで言う3密防止の“分散・間引き出社”の意味がありました。

 新型コロナの感染拡大を防ぐために、我々は、「自粛」生活を送ったわけですが、その点、江戸時代はどうだったのでしょうか。

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source : 文藝春秋 2020年9月号

genre : ニュース 歴史