国際日本文化研究センター准教授・磯田道史の「感染症の日本史」第4弾。新型コロナで最も参考になるのは100年前のスペイン風邪だ。しかし今回はもう少し前、江戸時代の古文書の世界へ。滝沢馬琴が詳細に記録した200年前の「感冒」の大流行から見えてくるものとは?
磯田氏
江戸時代に「感冒」が大流行
我々は、いまなお新型コロナのパンデミックのただ中にいます。
第1波の峠は越えましたが、ウイルスのRNAは国内で宿主を渡り歩いています。今は人間行動・気候・ウイルス感染力の三者間の微妙な釣り合いで小康を保っているだけの状態です。行動を緩める、気温・湿度・紫外線量が下がる、あるいは海外から多数の感染者が流入すると、マスク着用やクラスター潰しでは流行を抑えられなくなります。
感染症は火事に似て、未感染者は可燃物のようなもの。火の粉が飛んで一気に燃え上がるように流行が再燃しかねません。抗体検査の結果、ほとんどの日本人が免疫を持たぬことが明確になりました。秋冬に気温・湿度が下がり紫外線も弱まれば、危険がさらに高まります。
この点、最も参考になるのは100年前の「スペイン風邪」です。この感染症は3〜4の波で日本を襲ってきました。
しかし、似たような感染症の大流行は、日本の歴史に他にはなかったのか。そういう問題意識から、今回は、江戸時代の古文書の世界を訪ねてみたいと思います。
かつて滝沢馬琴を読んで、記録の詳しさ、鋭さに驚いた記憶がありました。馬琴の「兎園小説余禄」を読み返すと、やはり記述がありました。
今から200年前の文政3年(1820年)9月から11月まで「感冒」が大流行した、とあります。
流行の詳細を記録した滝沢馬琴
馬琴が残した詳細な記録
「一家十人なれば十人皆免るる者なし」というほど強い感染力でしたが、症状については、「軽症の場合は4、5日で回復し、大方は服薬もせず、重症の場合は『傷寒』(重い感冒)のように、発熱がひどく、譫言(うわごと)を言う者もいるが、その場合でも15、6日病臥すれば回復し、この風邪で病死する者はいない」とあります。
また、「江戸は9月下旬より流行して10月が盛りであった。京・大坂・伊勢・長崎などは9月に盛んだった由。大坂と伊勢松坂の友人の消息文にそうあった」と、広範囲で流行したことが分かります。
旧暦とはいえ「9月、10月」は、「寒い盛り」ではありません。冬場にピークを迎える季節性のインフルエンザとは異なる感染症でしょう。今回の新型コロナのような季節性の弱い感染症で「新型」の可能性も捨てきれません。
馬琴の観察眼が光っているのは、大坂や伊勢松坂の友人の手紙から、「畿内や長崎などでは9月から流行していた」と読み取っている点です。外国との玄関口・長崎から江戸に1カ月かけて拡がったことが分かります。時期と地域のズレを特定し、どう伝播したかを突き止めようとするほど、江戸後期の文人の科学性は徹底していました。実はこの精神がのちの日本の転回につながるのです。
興味深い記述が続きます。
「前々流行の風邪には、何風など唱へて必ず苗字ありしが、此度の風邪には苗字を唱ふるを聞かず」
つまり、以前の感染症には名前があったが、今度は名前がない、と。そして「二十余年前に琉球人来朝の折も感冒流行したるに、今茲(こんじ)(今年)も亦琉球人の来りぬれば、京大坂にては琉球風といふもありとぞ」と、20数年前の琉球使節時の「琉球風」にならって、畿内には今回も「琉球風」と呼ぶ者がいると述べています。
しかし、琉球使節が感染症を持ち込んだというのは、時期がずれていておそらく違います。馬琴の脳内に「中国・東南アジア・琉球→長崎→京大坂→江戸」という感染経路が強引に想定されています。島国日本は人口の多い大陸からの感染症に襲われてきました。「大陸=西からの感染」を恐怖する心理があったのです。
感染症は、しばしばその「名称」が敏感な問題を孕みます。
例えば、第1次大戦中に流行した「スペイン風邪」は、中立国ゆえに報道管制が敷かれていなかったスペインの流行ばかりが世界に報じられたため、この名が付けられてしまいました。今回の新型コロナをめぐっては、「武漢ウイルス」と呼ぶべきだとする米国のポンペオ国務長官の主張に、中国が猛反発しています。「琉球風」も、琉球使節への濡れ衣で“不当な”名称だった可能性が高いのです。
ただ、大きな流行があると、特定の「地域」や「集団」に結びつけてしまう人間心理は、当時も今も変わりません。馬琴は、その点にとても敏感でした。
歌も言葉も風邪も「流行る」
興味深いことに、江戸期は「その年の流行歌や流行語」が、しばしば病名になっています。
「予思ふにはやり歌、はやり詞(ことば)の流行せる年は必ず感冒流行す、安永のお世話風、文化のたんほう風など、当時のはやり詞、はやり歌を苗字にして唱へたり」(「兎園小説余禄」)
「お世話風」という名称は、「大きにお世話、お茶でも上がれ」(「余計なお世話だ」の意)という安永期の流行語に由来し、「だんほう風」というのは、おそらく「文政期」が正しく、「だんほうさん、だんほうさん」という当時流行った小唄から来ています。
歌も、言葉も、風邪も、まさに「流行る」。その年に流行った歌や言葉が流行り風邪の名称になっています。どれも口から口へとあっという間に拡がっていったイメージなのでしょう。江戸人なら、五輪が予定された今年の新型コロナを、米津玄師さんのヒット曲にちなんで「パプリカ風邪」などとつけかねません。
馬琴はこう続けています。
「今茲(こんじ)は秋8月の比(ころ)より江戸にてかまやせぬといふ小うた流行したり」
この年“大ヒット”した「かまやせぬ」というのは、こんな小唄です。
「曇らばくもれ箱根山、晴れたとて、お江戸が見ゆるじゃあるまいし、こちやかまやせぬ、名高き團十郎改めて海老蔵に成田屋親の株、こちやかまやせぬ」
元来「團十郎→海老蔵」と襲名する例が多く、そこは逆ですが、今年も「海老蔵→團十郎襲名(予定)の年」でした。それはともかく、馬琴は、「今年の風邪は『かまやせぬ風邪』になるかも」と匂わせています。この風邪は当初、「服薬せぬ人と雖(いえど)もかまはずしておこたりき(快方に向かう)」という軽症の風邪で始まったからです。
馬琴の記述を他の史料とも突き合わせてみましょう。
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