「脱炭素」こそポスト新自由主義の本命だ

熊谷 亮丸 大和総研チーフエコノミスト・内閣官房参与 経済・金融担当
ニュース 社会 SDGs
「脱炭素宣言」で、日本はSDGsのフロントランナーになれる

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▶︎今、各国がこぞって「脱炭素」に取り組むのは「脱炭素宣言」が国際競争の中で非常に強力なカードになるから
▶︎今後、企業はゼロカーボンに対応できていなければ取引先をどんどん失うことになる
▶︎SDGsを定着させたのはヨーロッパ。しかしSDGsに通底する考え方そのものは日本が歴史文化の中で培ってきたもの
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熊谷氏

240兆円の投資が必要

〈我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします〉

 昨年10月26日の所信表明演説で菅義偉総理は、「脱炭素宣言」をしました。

 菅さんが総理に就任して初めてお会いしたのは9月下旬のこと。このとき私は「SDGs大国宣言をすべきだ」と強く申し上げました。

 SDGsとは、国連が定めた「持続可能な開発目標」のことで、環境問題はその主要な課題のひとつとされています。私が「SDGs大国宣言をすべきだ」と申し上げたのは、温室効果ガスを削減することを目的とした「脱炭素」がすでに世界的な流れとなっており、日本も国際社会に対し、一刻も早く意思表示をしないと世界から取り残されてしまうという危機感があったからでした。

 これに関連して総理には環境分野で先行するEUのこともお伝えしました。EUはフランクリン・ルーズベルト米大統領のニューディール政策にならって、「グリーン・ディール」の旗をかかげ、先端的な環境配慮型社会への移行を目指し、さまざまな産業においてEUが主導的な地位を確立することを狙っています。

 投資マネーも環境に対する意識の高い企業でなければ、すでに集まらなくなっていて、EUでは機関投資家の運用の約5割が「環境・社会・ガバナンス」を考慮した投資となっています(日本は約2割)。菅首相には、環境は企業にとってもはや負担ではなく、改革の牽引力になることをぜひお伝えしたいという思いがありました。

 もちろん、総理周辺でSDGsや環境について話していたのは、私だけではありません。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)でCIO(最高投資責任者)を務めた水野弘道さんもグリーン関連に投資を振り向けるべきというのが持論です。また小泉進次郎環境相も、さまざまな国際会議に出席されるたびに日本を見る世界の目が厳しいこと、不名誉な「化石賞」を何度ももらっていることを報告していたようです。

 大和総研の試算では、パリ協定に基づく温室効果ガスの排出削減目標を達成するためには、今後20年間に240兆円くらいの投資が必要だとみられます。GDPの押し上げ効果は毎年平均で1.2%。日本の潜在成長率は相当下がってきて現在1%を割り込んでいますから、かなりの経済効果があると言っていい。IEA(国際エネルギー機関)の試算でも、同じ期間に世界全体で58兆ドル以上のエネルギー投資が必要になるとしています。脱炭素を所信表明演説に取り入れたことは、経済政策としても大変いい判断だったと思います。

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菅首相は「脱炭素」を宣言

「脱炭素」という切り札

 私は昨年10月に内閣官房参与に任命されてから、月に1度のペースで総理にお目にかかり、足元の経済状況や今後やるべきことなどについてお話ししています。

 もともとは私が10年位前からテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」でコメンテーターを務めていて、そこに当時官房長官だった菅さんが出演されたところからお付き合いが始まりました。菅総理は焼き鳥がお好きなので、何度かご一緒させていただきました。最近は基本的に総理と一対一で、だいたい1時間弱、経済をはじめとする様々なお話をしています。

 先に申し上げたように、日本は「脱炭素」にむかう国際社会に後れをとりつつありました。菅総理の所信表明演説までは、「2050年までにCO2の80%削減」を目標としていましたが、すでに世界でおよそ120の国や地域が「50年までにCO2の排出を実質ゼロ」を掲げており、ようやく追いついたと言えるかもしれません。

 たとえば、中国は2060年ですが、EUは2050年、スウェーデンに至っては2045年を排出ゼロの目標年としています。トランプ大統領はパリ協定からの離脱を表明するなど例外的でしたが、バイデン次期大統領は、2050年までの排出ゼロ目標、さらに環境保全分野への2兆ドルの投資計画を発表しています。中国も時機をみて「2050年」と宣言するはずです。

 自分たちの国の存在感を高めるため、最高のタイミングで「宣言」をする。そこには国際社会をリードしたいという政治的な思惑もあります。日本が示した2050年は、今のところまだトップ集団に位置していて、今回はある種のサプライズを狙った大転換といえるでしょう。

 なぜ各国はこぞって脱炭素に取り組むのか。それは、「脱炭素宣言」が国際競争の中で非常に強力なカードになりうるからです。

 その理由のひとつとして、テクノロジーの覇権争いでの追い風が期待できます。例えば、太陽電池は1位から3位まで中国企業が独占しているので、この分野は中国がリードすることになります。つまり、各国とも、脱炭素にかかわる産業で主導的な立場を取ろうとして、高い目標を敢えて掲げているところがあるのです。

ゼロカーボンへの対応を

 もうひとつ脱炭素の流れを後押しするのが「ダイベストメント」の動きです。ダイベストメントとはインベストメント(投資)の反対語で、投資からの撤退を意味します。環境問題におけるダイベストメントとは、簡単に言うと、「脱炭素でないものからはお金を引き上げる」動きのこと。世界的に脱炭素が主流になってきている今、投資家たちも石炭や石油といった化石燃料関連の銘柄は先行きが危ういと見て手を引こうとしているのです。

「エコでないものから手を引く」動きは、「企業-投資家」だけではありません。「企業-企業」も同じです。例えば、GAFAのひとつ、Appleは2030年までにすべての製品をゼロカーボン、すなわち脱炭素で作ることを目標にしています。そのため製造エネルギー源が100%再生可能でない取引先を、自社のサプライチェーンから排除する方針を打ち出しました。

 日本への影響という点では、現在Appleに部品を供給しているメーカーに大打撃を与えます。国内の主要サプライヤーといえば、二次電池やコンデンサを供給する村田製作所やTDK、モーターの日本電産などがありますが、回路基板などを供給している日東電工はすでに脱炭素のための対策を講じ、2030年までの再エネ100%に同意したサプライヤーリストに名を連ねています。

 日本企業は世界中の企業と取引をしています。今後Appleのような企業が増えていった時にゼロカーボンに対応できていなければ取引先をどんどん失うことになるということが、このAppleの一件からも容易に想像がつくわけです。

バスにノーベル賞学者が

「脱炭素」の流れを決定的に強めたのは、2015年9月に国連で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が提唱した「SDGs」です。

 SDGsとは、子や孫たちの世代に「きれいな地球」を残すため、持続可能な開発のゴールを目指すという意味で、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「ジェンダー平等を実現しよう」など達成目標はあわせて17あります。

 この17の項目の中に「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「気候変動に具体的な対策を」「海の豊かさを守ろう」があり、これが脱炭素の源流となっているのです。

 私がこのSDGsに注目するようになったきっかけは、毎年1月終わり頃、スイスのリゾート地・ダボスで開かれる世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)でした。わずか数日ですが、街がまるごと会議場になり、あちこちで世界経済や環境問題などについて白熱した議論が交わされます。

 街中でバスに乗ると、ノーベル賞受賞者が座っていたりするのもこの世界的な会議ならではのことでしょう。私が2017年に参加したとき、隣の座席にジョセフ・スティグリッツ(ノーベル経済学賞受賞者)が座って来ました。彼が私に対して、「アメリカの本当の問題は、オピオイド(医療用麻薬)漬けで働けない人が増えていることなんだ」と小声で話しかけてきたのが当時はあまりピンと来なかったのですが、それからまもなく大問題に発展したのをニュースで見て、改めてダボスに集う人々の先見の明に驚きました。

 ダボスで議題として取り上げられたトピックは、だいたい何年か遅れて日本にやってきます。私が参加した年は、ブロックチェーンやAI(人工知能)などの新技術とともにグリーンや環境といったテーマのセッションが増え、ダボス自体が様変わりしてきた頃でした。

 それまで持て囃されてきた「新自由主義」や「グローバル資本主義」に対する批判が徐々に広がり、ダボス全体に反省ムードが漂いはじめていました。ダボスの参加者に富裕層が多く、かねてから「金持ちクラブ」と揶揄されることも影響したと思います。

 2010年代の後半は、世界中の先進国で格差が広がり、富める者と貧しい者の溝が深まるばかりでした。そこで世界のトレンドが大きく変わり、格差容認、株主至上主義から環境やSDGsを重視した新しい資本主義、ステークホルダー(利害関係者)資本主義へと向かいつつあるのを肌で感じたのです。私は、日本もこの流れに乗り遅れてはいけないと思いました。

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「グリーン」という起爆剤

 私がなぜ日本においても脱炭素が大事だと考え、グリーン投資の重要性を訴えたいと思ったか。それには、もう1つ別の理由があります。それは脱炭素が社会経済構造転換のきっかけとなり、経済成長の起爆剤になりうると考えたからでした。

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source : 文藝春秋 2021年2月号

genre : ニュース 社会 SDGs