このような話は幾度となく綴ってきた。インタビュアーは、当時の苦労話を聞きたがり、こちらがマイクに向かって少し大げさな「苦労話」とやらをお涙頂戴と言わんばかりに語れば、世間はお約束通りに同情するだろう。しかし、実際のところ当事者としては、困ったことにこれといった苦労が思い出せない。酒の一杯でも飲めば、記憶の引き出しの鍵が開いて話は変わるかもしれないが――。
平成28年4月16日、私は高知県高知市にある名勝「桂浜」の浜辺に建つ「桂浜水族館」の公式マスコットキャラクターとして生まれた。名は「おとど」というらしい。私が生まれる少し前のこと、この浜辺の小さな水族館で起きた職員の一斉退職事件は、全国的にも有名な大きなニュースとなった。飼育データも残されておらず、生きものたちの世話をする飼育員もいない。昭和6年に開館して以降、災害や戦争を乗り越え、一時は観光客で賑わい、連日来館者で溢れ返っていたこの水族館は「高知の恥」と言われ、晴れて嫌われ者となった。現代のニーズに合った新しい水族館が生まれる中、今でこそ「レトロ」や「ノスタルジック」と愛されるようになったが、海風に撫でられ劣化した建物は「古い」「狭い」「暗い」「汚い」と、幼少期に遠足で訪れたら最後、2度と行くことのない水族館として語られるようになった。
このままではだめだ。
そうして平成27年、桂浜水族館は「なんか変わるで 桂浜水族館」をスローガンに掲げ、本格的な改革を始めた。私は改革の一環として生まれ、現館長、残っていたベテラン飼育員、新たに集ったスタッフとともに「おらんくの水族館」をつくるべく走り出した。「おらんく」は土佐弁で、「私の家」という意味だ。昭和時代から今の場所に建ち、補修や改修を重ねた継ぎ接ぎだらけの建物はまるでハウルの城のようで、当時の建築技法が用いられていることもあり不思議な造りをしている。どこの施設にもあるだろうエレベーターはここにはない。スタッフ専用の通路もなく、飼育員たちはエサの魚が入ったクーラーボックスやバケツを提げ、来館者の隙間を縫うようにして館内を移動する。都会の水族館に比べ敷地も広くない。館外に出ていなければ、子どもが迷子になることは滅多にない。その為、おそらくどの水族館よりも来館者と飼育員が接触する機会が多い。ならばこれをプラスにしよう。来館者にとって、ここがまるで自分の家だと思えるような水族館にしよう。また帰ってきたくなるような水族館をつくろう。
「いらっしゃいませ」より「こんにちは」、「ありがとうございました」より「またね」。
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source : 文藝春秋 2021年5月号