Kさんが亡くなってから6年になる。七回忌か。でも彼は日本の人ではなかった。
2005年の春、足かけ8年のフランス留学を終えて帰国した。そのうちの5年ほどは、パリから南に列車で1時間のオルレアンに暮らすエレーヌとクロードの夫妻の家での居候生活だった。
3階にある僕の部屋からは大きな中庭が見渡せた。フランスを発つ前日の早朝、開けた窓から薄闇を貫いて夜啼き鳥の声が聞こえてきた。驚きのあまり立ち尽くした。その美しい歌を耳にするのは初めてではなかったが、これほどまで鮮明に耳に響いたことはなかったのだ。そしていつまでも歌いやめようとしない。
マグノリアの木陰のテーブルでいくつかの作品を書いた中庭が、僕に別れを告げようとしている。いや、それは単なる感傷か……。
エレーヌの父は、戦前の人民戦線内閣で32歳の若さで教育芸術大臣を務め、現在にもレガシーが残る幾多の文教改革を実現させた希代の政治家ジャン・ゼ。親ナチスのヴィシー政権に投獄され、民兵組織に暗殺された。
弁護士でありジャーナリストでもあったジャン・ゼは、文学や芸術に造詣が深い人だった。死後刊行された獄中日記は、激動の歴史と政治の貴重な証言であり、明晰な文体で書かれた文学的な「作品」でもある。
エレーヌとクロードの家の居間には、画家でもあった詩人ジャン・コクトーがジャン・ゼのために描いた絵が飾られてあった。その絵の前で、僕はKさんと初めて会った。
Kさんはスーダンの紛争地帯ダルフールの出身だった。焼き討ちにあった村から命からがら逃げ出し、リビアを経由してフランスに渡った。不法滞在者の取締りの厳しいパリを離れ、オルレアンにたどり着く。同じ境遇の者たちとロワール川沿いで野宿していたとき病気になり、長年移民や難民を自宅に受け入れるなど支援をしてきたエレーヌとクロードに出会ったのだ。
Kさんはフランス語ができず、英語もたどたどしかったが、元大学教授で詩人のクロードは、Kさんを招いては話に耳を傾けた。睫毛の長い目を伏し目がちに、言葉を探して手を動かすKさん。真剣な眼差しを浮かべ、手元の紙にメモを取るクロード。
クロードが理解した限りでは、Kさんの母や妹たちはケニアの難民キャンプで生きているようだった。しかしなかなか連絡が取れなかった。
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