伝説の写真家の半生に迫る
水俣病と聞いて思い出す写真。それは、胎児性水俣病患者の少女を抱いて入浴する母の姿を捉えた「入浴する智子と母」です。撮影したのは、アメリカの写真家ユージン・スミス。写真誌『ライフ』に掲載された写真は、「水俣のピエタ」と評されるようになります。
ピエタ像といえば、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に展示されているミケランジェロの作品が有名です。イタリア語で「哀れみ」を示す像は、十字架から降ろされたイエスを聖母マリアが抱いています。智子と母親の姿を撮影した写真は、それを想起させるというわけです。
それまで母親の胎盤は、フィルターの役割を果たし、体内の害毒が胎児に移らないようにする機能があると信じられてきました。ところが水俣病の原因となった有機水銀は、胎盤を通過して胎児に蓄積。生まれてすぐに全身の麻痺などが起きてしまうことが判明し、衝撃を与えました。その実態を世界に知らせたのが、この写真です。
この写真をどうやって撮影することができたのか。石井妙子氏の綿密な取材で明らかにされています。撮影の過程では、当時の妻のアイリーンの働きがあったのです。
この写真が有名になったのに、本書には、その写真がありません。なぜないのか。それも本書で明らかにされます。
私たちが学校で習う四大公害病のひとつ水俣病。歴史として習うために、過去のことと考えてしまいますが、いまも苦しんでいる患者がいるのです。
熊本県水俣市のチッソ附属病院に連れて来られた5歳の女児に、足が曲がり、言葉を十分に発せず、身体を痙攣させる症状があることが確認されたのは、1956年4月のこと。翌5月に同じ症状が多発していると報告され、これが水俣病発生の最初の公式確認でした。
当時はこれが「奇病」とされ、患者たちは差別に苦しみます。二重、三重の苦しみを味わうのです。
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source : 文藝春秋 2021年11月号