Tシャツを着て、また町へ出よう

巻頭随筆

佐藤 究 小説家
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 イベント会場での物販の華といえば、〈Tシャツ〉だ。

 音楽やプロレスなどのライブ興行に足を運ばれている方なら、Tシャツコーナーの熱気に満ちた人だかりをよくご存知だろう(パンデミック以前の光景ではあるが)。

 ほとんどライブに行かない方は、おそらくこう思うはずである。「なぜTシャツが物販の華なのか?」

 答えはもちろん、「売れる」からだ。最近だと映画館でも上映作品の限定Tシャツが販売されたりしている。

 好きなアーティスト。

 好きなプロレスラー。

 好きな映画。

 人々はコンテンツを楽しむだけでなく、そのイメージがプリントされたTシャツを買い求める。それは今日という1日の記念であり、現代風にいえば自分の〈推し〉とのつながりを示すものであって、袖をとおして外へ出れば、手っ取り早いアイデンティティの表明にもなる。

 好きなジャンルのTシャツを身にまとっている感覚は、思いのほか気分を前向きにしてくれるものだ。ハイブランドの服で着飾るのに比べればはるかに安上がりだし、Tシャツにはポップな護符のような効果があるのかもしれない。

 表舞台を去ってなお、人々に敬愛されてやまない存在がTシャツ化される場合、デザインの中心はその当人の肖像になる。イラストより写真が圧倒的に多い。チェ・ゲバラ、ブルース・リー、ジョン・レノン、ボブ・マーリー、カート・コバーンといった〈レジェンド〉たち。

〈レジェンド〉のTシャツは、それを着た本人と同時に、他者にも影響を及ぼす。そこに面白さがある。Tシャツにプリントされた姿は、1度着てしまえば本人の視界には入らない。自分の顔が自分で見えないのと同じ。つまり、Tシャツの柄となった〈レジェンド〉と遭遇するのはいつでも、すれちがう他者の側なのだ。

 私自身、見知らぬ相手の着たTシャツの〈レジェンド〉と忘れがたい遭遇をした経験がある。

 10年近く前、新宿区大久保を歩いていたときだ。

 夜が明けたばかりで、カラスがゴミを漁り、ひと晩中飲んでいた酔っ払いがふらつきながら駅へ向かっていた。

 当時の私はといえば原稿依頼はゼロ、アルバイトで食いつなぐ日々を送っていて、何もかも馬鹿らしくなることが度々あった。30代半ばをすぎて定職なし。いったい俺は何をやっているんだ?

 その朝も終わりのない自問自答を繰り返しながら歩いていたわけだが、ふと顔を上げると、朝日を背に、大久保通りを東からやってくる人物の着たTシャツが目に入った。

 今でもはっきり覚えている。彼が着ていたのはダイナマイト・キッドがプリントされた黒いTシャツだった。

 昔からのプロレスファンであれば、その顔を知らない者はいない。身を削った過激なファイトスタイルで、リングを去ったあとは車椅子の生涯を送らざるをえなかった伝説のレスラーである。

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source : 文藝春秋 2022年1月号

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