戦前は満州国で辣腕を振るい、戦後は首相として日米安保条約改定に尽力した岸信介(1896~1987)。孫である安倍晋三元首相が、祖父としての素顔を語る。
安倍氏
祖父が首相のとき、私は2~5歳でした。やはり孫には甘かったですね。私は男3人兄弟で、父・晋太郎の次男ですが、岸家に養子に入った弟の岸信夫(現防衛相)が生まれるまでは、場合によっては、私が養子に入ることもあったかもしれません。それで、しょっちゅう母の実家の岸家に連れて行かれました。
祖父は家では家族と食事したり、話をするのが好きだった。泊まりに行くと、祖父は私を自分の布団に入れていろんな話をしてくれました。
政治家として成し遂げた一番の功績は、何といっても日米安保条約の改定です。吉田茂内閣がサンフランシスコ講和条約と同時に結んだ旧安保条約は、米国の日本に対する防衛義務もなく、両方が合意しなければ廃棄できない。もちろん日米地位協定もない。極めて不公平だと考えたのは、政治家として当然です。
私の父は岸内閣の首相秘書官のとき、岸に「元経済官僚だから、首相として経済政策に挑戦したら」と言いました。次の池田勇人内閣で本格化する所得倍増政策も事実上、岸政権の下で始まっていましたが、岸は「経済政策は役人でもできるが、外交と安保政策は政治家でなければできない」と判断する。これがその後、日本が繁栄の道を進む上で大きな決断となりました。
日米は保護国的な同盟関係ではなく、明確に同盟国になった。安保改定にあれだけ大きな反対運動が起きたのは、多くの国民が、ほとんど旧安保条約と新安保条約の比較ができていなかったから、と思います。
岸信介
安保改定での一番の苦労は、やっぱり自民党内の取りまとめですね。池田派や大野伴睦元副総裁の大野派、河野一郎元副総理の河野派などの動きがあり、その中で、祖父は党内で協力を取り付けるため、後継問題で順番に密約を結びます。
後に私が社会人になり、祖父とその長男の伯父・岸信和と3人で夕食後、雑談したとき、伯父が「密約って、本当?」と尋ねたことがあります。祖父はうなずきました。「実現するつもりはあったの」と重ねて聞いたら、祖父は「難しいと思っていた」と言っていました。
私はマックス・ウェーバーが説く「心情倫理」と「責任倫理」で、純粋に倫理観を追求する「心情倫理」、起きたことに責任を取る「責任倫理」が、政治家に求められるものと考えます。できもしない約束をするのは倫理上、正しくない。しかし約束をしなければ安保条約改定が実現しないかもしれない。であれば、そこで受ける批判に対する責任を取り、新安保条約を成立させることが国のためだ。それが正しいというメッセージを残す。そういう判断ではなかったか、と。2つの倫理の緊張関係の中でギリギリの判断をする。これが政治の厳しい現実だと思います。
政治家には、乾坤一擲の勝負を懸けるときがあります。その覚悟で臨んで成就させ、退任と引き替えにした。政治家として岸を評価する点は、そこが一番ですね。
祖父の岸信介に抱かれる安倍晋三(右)
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