「その日からあなたへの愛が再燃した」。なぜ党最高幹部との不倫を告発したのか
〈一緒にテニスをやろうと〉
北京冬季五輪が開催中の2月8日、スキー競技を中継している中国国営の中央テレビのカメラが、国際オリンピック委員会(IOC)会長のトーマス・バッハを映し出した。真横にいたのは、黒いニット帽をかぶった中国女子テニス選手の彭帥(36)。2人が談笑している場面は30秒余りだったが、世界中のメディアがその様子を報じた。
その3日前の2月5日、2人は五輪会場内の施設で夕食を共にしたことをIOCが明らかにしている。それぞれの五輪の体験などを語り合い、彭帥が昨夏の東京五輪に出場できなかったことを残念がったことが公表された。
しかし、IOCの広報担当者は「食事で話した内容の公開に関しては、すべて彭帥氏の裁量にゆだねることで双方が合意した」と述べるにとどまった。
IOCが国家首脳並みに彭帥に配慮をするのには、理由があった。
昨年11月2日午後10時7分(現地時間)。彭帥の微博(ウェイボー、中国のSNS)に長い文章が投稿された。中国共産党の最高指導部、政治局常務委員を務めた張高麗(75)から性的関係を強要されたことを告発する内容だった。
その20分後、投稿は削除されたものの、その間、コピーされた画像が瞬く間にネット上に拡散。筆者にもその画像が中国の知人から送られてきたが、赤裸々な内容には驚くばかりだった。
「告発文」の冒頭で彭帥は、
〈話したところで無駄なのはわかっている。でも、やっぱり言葉にして吐き出したい。私は不誠実なことをしたかもしれない〉
という切実な心境を綴っている。さらにこう続けるのだ。
〈3年前にあなたは引退した。天津テニスセンターの劉先生を通じて再び私に連絡してきた。北京の康銘ビルで一緒にテニスをやろうと。午前中にテニスをした後、あなたと康潔夫人と一緒にあなたの家に連れていかれた。あなたは私を自分の部屋に引き入れ、十数年前の天津の時と同じように、性的関係を結んだ〉
「康銘ビル」は、中国共産党・政府の要人が執務室や居室を構える中南海の北側にあり、テニス場を併設している。筆者も北京特派員時代の取材で、中国政府高官がしばしば訪れていることを確認した場所だった。
投稿にはこの後も、彭帥と張高麗との関係や、彼女の思いの丈が延々と書かれている。
彭帥
「拘束されている」
この投稿後、彭帥の発信は途絶え、行方もわからなくなった。世界中のメディアが彼女の身に起きた異常事態を報じたが、中国当局は「把握していない」(中国外務省報道官)と沈黙を貫くばかり。「中国当局の監視下に置かれている」「拘束されている」などの懸念の声が国際社会で上がった。
彭帥は8歳からテニスを始め、2003年にプロ入り。フォアハンド、バックハンド共に両手打ちで強打を放つうえ、その強気な性格から「中国女子テニス界の猛女」とも呼ばれた。女子ダブルスで世界ランキング1位、四大大会のウィンブルドンや全仏オープンで優勝した経験を持つ中国のトッププレーヤーだ。
一連の騒動を受けて、大坂なおみら女子テニスのトップ選手がSNSで仲間の安否を心配する声を上げた。テニスの女子ツアーを統括する女子プロテニス協会(WTA)は「彼女の告発は、厳粛に扱う必要がある」と声明を出し、ツアー大会の中国からの撤退も決めた。
「#彭帥はどこ」というハッシュタグを付けた投稿が世界中に広がり、中国当局に真相を求める声が高まっていた。
そんな中、バッハは水面下で彭帥とオンラインで対話を続け、北京五輪を訪問した際に面会する約束を交わしていたのだ。
なぜ行方不明だった彭帥とバッハが連絡をとり続けることができたのか。さらに「告発文」は彭帥本人が書いたものだったのか。そもそも真相は何だったのか。
本稿では、中国政府高官や共産党関係者らの証言と、「OSINT(オシント)」と呼ばれる、公開情報を読み解きながら真実を明らかにする分析手法を用いて、これらの疑問を明らかにしていきたい。
張高麗
“トップ7”張高麗
ただ本題に入る前に、まずは張高麗の経歴について紹介しよう。
張は南部・広東省の石油会社の作業員として働き始め、1985年に広東省経済委員会主任に任命された後、官僚としてのキャリアをスタートしている。経済特区の一つ、広東省深圳市トップの共産党委員会書記のほか、山東省と天津市の両トップなどを歴任した。そして、2012年11月に発足した習近平政権で、共産党の「トップ7」である最高指導部の政治局常務委員となった。
この時、筆者は北京特派員として、北京の人民大会堂で開催された新常務委員の披露会見を取材する機会を得た。序列7位の張高麗は最後に会場に入ってきた。
左右の手と足が、ほぼ同時に出るぎこちない歩き方。不自然とも言えるボリュームのある黒髪。明らかに異彩を放っていた。会見中も、習近平ら他の6人が会場に向かって手を振っていたのに対し、張だけは緊張した面持ちで直立不動だった。
広東省時代の張を知る中国共産党関係者が振り返る。
「地味で慎重な性格だったと記憶しています。目立った成果はありませんでしたが、その時々の上司にうまく取り入ることで、石油会社の一作業員から最高指導部入りを果たした。山東省時代、泰山を訪れた江沢民国家主席を神輿に乗せるパフォーマンスをして気に入られ、その後、江氏やその一派に引き立てられていきました」
江沢民は2005年にすべての地位から退いて一党員になった後も、院政を敷いて絶大な権力を振るってきた。張はそんな江の庇護の下、末端の党員からトップ7まで出世の階段を駆け上がった。
序列7位は、常務委員では末席だ。しかし、毎週1回開かれる常務委員会で、重要な政策や人事は7人の多数決で決める。つまり張は、習近平と同じ1票を持っている。
常務委員は、14億人の民を支配する共産党員9000万人の頂点に立つ、いわば「神」のような存在だ。引退後も中南海に居を構え、秘書や専用車があてがわれる。重要な政策や人事について執行部から意見を求められるため、隠然たる影響力も持ち続けることができる。
張高麗は2018年に政界を引退したが、21年7月に開かれた中国共産党成立100周年大会の際に、天安門の楼台でその姿が確認されている。そのことから、引退後も特別待遇を受けていることがわかる。
そんな「神聖なる」常務委員のスキャンダルが、中国国内で明るみに出ることは極めて珍しい。
ただ、これまで皆無だったわけではない。数年前には元政治局常務委員の周永康や、胡錦濤の最側近だった令計画らも失脚後に愛人スキャンダルが報じられている。最近では党中央宣伝部副部長の慎海雄と、人気女優の佟麗婭の不倫疑惑が報じられた。
2012年の中国人民大学の報告書「官僚イメージの危機」によると、腐敗で取り調べを受けた官僚の95%に愛人がいたという。
しかし政府に統制されている中国メディアが報じることはほとんどなく、香港メディアがゴシップとして伝える程度だった。
今回は、張の相手が40歳も年下で中国人なら誰でも知っている女子テニス選手。さらには当事者が事情を暴露している点でも異例で、中国内外に与えた衝撃は大きかった。
彭帥の投稿文
信憑性の高い投稿文
彭帥の投稿では、張が天津市党委書記だった2011年から性的関係があったことも暴露されている。翌年、常務委員になると、張とは音信不通になり、それから7年ぶりに再会した際の思いを、彭帥は赤裸々に綴っている。
〈その日から私はあなたへの愛が再燃した。一緒に将棋を指し、歌い、卓球やビリヤード、そしてテニスをやった。私たちはずっと遊んでも楽しめるほど、相性が良かった。話が尽きないある日、あなたはこう言った。「私は今の立場では離婚ができない。もし山東にいた時に知り合っていたら、まだ離婚ができただろう」〉
引用されている張のコメントがこの告発の信憑性を高めている。山東省にいた2001年から07年までは中央委員であり、手続きをすれば離婚できる立場だった。彭帥と出会った天津市では、すでに政治局員に昇格していた。
政治局員は「離婚は事実上許されていない」(元共産党幹部)。常務委員になると、不貞は厳しく禁じられているため、別れを余儀なくされたのだろう。3年前に引退したからこそ、再び彭帥と関係を持とうとしたことがうかがえる。
投稿文を読み進めると、前述の共産党関係者が指摘するように、張の「慎重さ」が随所に見てとれる。
〈私と男女の関係になっていることを、あなたは私の母にも言ってはならないと言った。母はいつも私を西什庫教会まで送ってくれ、そこであなたの車に乗り換えてあなたの家に入った。母はずっと私があなたの家にマージャンをしに行っていると思っていた。あなたはいつも、私が録音機を持っていないか恐れていた〉
「西什庫教会」は、中南海の西門近くにある。3階建ての白を基調としたゴシック様式で、中国の中でも歴史のある教会だ。テレビ中継でよく見る中南海の映像は、天安門広場側の正門だが、車両の出入りに使われるのは西門だ。
筆者は北京特派員時代に3度、中南海内を取材したことがある。いずれも西門から出入りしていたため彭帥が辿ったルートを、鮮明に思い浮かべることができる。
中南海の正門
彭帥の強い憤り
では、張高麗に愛情を抱いていた彭帥がなぜ、心変わりして告発に踏み切ったのか。投稿の3日前、2人の間に引き金となる出来事があったようだ。
〈(10月)30日の夜、あなたと激しく口論した後、こう言った。「(11月)2日午後、また私の家でゆっくりと話そう」。そして今日(2日)の正午、あなたは私に電話をかけてきて「また連絡するから」と。7年前と同じように音信不通となった。私にはこの3年間の感情をなげうつ場所はない。石にぶつかる卵のように、火に飛び込む蛾のように、自滅するつもりであなたとの間で起きた事実について告白する〉
文面の末尾には、彭帥の強い憤りと、告発への決意がにじみ出ている。11月2日正午に電話を終え、2012年の時のように張に「捨てられる」との危機感を抱いた彭帥は、思いの丈をぶつけるようにして告発文を書き、約10時間後にSNSでの発表に踏み切ったのだろう。
奇しくもその前日は張の75歳の誕生日。一緒に祝おうと前夜から過ごしていたところ、話がこじれて激しい口論になった可能性がある。
中国の都市部の女性の平均初婚年齢は34歳前後。当時35歳の彭帥が自らの身の振り方を案じ、張に不満をぶちまけたことは想像に難くない。
文章の主語と述語が一致していなかったり、文法が不明瞭な部分も点在したりしており、動揺した気持ちで一気に書き上げたことが推測できる。
以上のように、彭の投稿内容を細かく分析していくと、当事者だからこそ知りうる「秘密の暴露」がいくつもあり、本人が書いたモノだと判断できる。
「3期目は簡単ではない」
一方、中国当局にとっては、この騒動が単なる一高官のスキャンダルでは済まされない内情があった。
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source : 文藝春秋 2022年4月号