病葉草紙 第一話 馬癇 前編

京極 夏彦 作家
エンタメ 読書

 その日、藤介とうすけは何故か浮かれていた。

 理由などない。あるとするならば、天気が良いのにそれ程暑くないだとか、川縁の草が風にそよぐのが妙に綺麗だったとか、その程度のことであったろう。

 藤介はもう二十五になるのだが、いまだ定まった渡世を持ってはいない。いて云うなら親の手伝いをしていると云うことになるのだが、何を手伝っているものか藤介自身が判っていない。

 そもそも藤介の父親は商売あきないている訳ではない。

 元は薬種問屋の主人だったのだが、うの昔に隠居している。おたなは父の弟——藤介の叔父がいだ。

 ややこしい跡目争いがあった訳ではない。

 病がちだった父藤左衛門とうざえもんは、子も居らず、連れ合いも早くに亡くしてしまい、五十を前に店を弟に譲って隠居してしまったのである。

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source : 文藝春秋 2022年8月号

genre : エンタメ 読書