寂聴、最後の小説集
広島での被爆体験を描いた『夏の花』で知られる作家の原民喜は、45歳で自死した。義弟の佐々木基一に宛てた遺書には、岸を離れる船の甲板に立って、陸地を眺める自分が描かれている。陸地は現世であり、そこから船に乗って死者の国へ向かうというイメージだ。
99歳で大往生をとげた瀬戸内寂聴が幻視したのは、この世とあの世の境界を、飛行機でこえてゆく自分である。
ずしんとした圧迫を下半身に感じて軽い眠りから目覚めた「私」は、大きな飛行機の中にいた。妙にゆっくりした動作で身を起こして動き出す乗客たち。自分も立ち上がるが、いつも持っているバッグがない。財布もカードもないと慌てたとき、「大丈夫! ほら、もう、あっちに来たのよ」という声がする。それは、自分自身の声だった――。
こんな場面から始まる短篇「星座のひとつ」は、昨年の『新潮』9月号に掲載された。同じ年の11月、寂聴さんは亡くなっている。この作品を含む17篇を収録した最後の小説集が『あこがれ』である。
三途の川を渡るのでもなく、原民喜のように海のかなたに去るのでもなく、飛行機であの世に到着するというのが、いかにも寂聴さんらしい。
生涯多忙で、自分を必要とする人のところにはどこへでも駆けつけ、やって来る人はみな受け入れた。晩年にお会いしたが、生きてきた苛烈な歳月を感じさせない、軽やかな人だった。
作家は自分に起こる出来事を予見するような小説を書くことがある。この作品を読むと、寂聴さんは本当にこんなふうにしてあの世に行ったに違いないと思えてくる。死にまつわる辛気臭さがみじんもなく、できるなら私も飛行機であの世に移動したい気持ちになった。
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source : 文藝春秋 2022年12月号