「狂人日記」(1918年執筆)に関しては、「中国の古い社会制度、とくに家族制度と、その精神的支えである儒教倫理の虚偽を曝露することを意図して」(竹内好)書かれた作品という通説的な見解がある。この見解が正しいとすると「狂人日記」は、中国という地域の、封建制から近代への移行期という限定の中で意味を持った作品ということになる。評者の理解では、魯迅作品の面白さは、中国や20世紀初頭という制約にとらわれない普遍的性格を帯びているところにある。本稿では、現下日本を意識しながら「狂人日記」を読んでみたい。
一般論として、どの国でも経済が右肩下がりになると、社会に閉塞感が強まる。安倍政権下、GDPの名目値は伸びているが、ドル換算ベースでは右肩下がりが続いている。為替ダンピングで円安を誘導して名目GDP値を上げているように思えてならない。日本もグローバル経済から逃れられないので、経済の実態は、ドルベースで考えた方がいいと思う。そうすれば、日本社会の閉塞感が構造的なものであることが見えてくる。こういう社会では、一人一人が追い詰められて、心身に変調を来すような事例が少なくない。注意して周囲を観察すれば、「狂人日記」の主人公のような人が必ずいる。
狂人の時間感覚
まず、興味深いのは、主人公に現れた時間感覚の変化だ。
〈きょうは月がまるきりない。こいつはまずいなと思った。朝、用心して家を出てみると、趙貴翁(チャオクイオン)の眼つきがおかしい。おれをこわがっているようでもあるし、おれをあやめたいようでもある。ほかにも七、八人、ひそひそ耳打ちして、おれの陰口をついてるやつがある。そのくせ、おれに見られるのがこわいのだ。往来にいる連中が、みんなそうだ。なかでもいちばん人相の悪いのが、大口をあけて、おれを見て笑いやがった。おれは頭のてっぺんから脚の先までぞっとした。やつら、すっかり手筈(てはず)をととのえたな、と思った。/しかし、こわくはなかった。平気で歩いて行った。前方に子どもがかたまっていて、これもおれの陰口だ。眼つきは趙貴翁とおなじだし、顔はまっ青だ。おれは、子どもたちまで何のうらみがあって、こんなまねするのかと思ったら、もう我慢できなくなって《言ってみろ!》ってどなってやった。そしたら逃げてしまった。/おれは考えた。趙貴翁はおれに何のうらみがあるのか。往来にいた連中はおれに何のうらみがあるのか。あるといえば二十年前に、古久(クーチウ)先生の古い大福帳を踏んづけて、古久先生にいやな顔をされたことぐらいじゃないか。趙貴翁は古久先生の友人ではないが、きっとその噂(うわさ)をきいて、おれのことを憤慨してるんだろう。そして往来の連中をそそのかして、おれを憎むように仕向けてるんだな。ところで、子どもはどうだ。あのころは生まれてもいないじゃないか。なぜきょうは、おれをこわがるような、おれをあやめたいような、へんな眼つきでおれをにらむんだ。こればっかりは、おそろしいことだ。不思議なことだし、悲しいことだ。/そうだ、わかった。親たちが教えたんだ〉
主人公には20年前の出来事が、昨日のことのように思えるのだ。最近、かなり昔のパワハラやセクハラが問題にされ、失脚する人がいる。不倫関係のもつれによって、当初、同意の上だった関係が、途中からセクハラとされることもある。こういう問題は、役所や企業の中で、人事や路線をめぐって抗争が発生したときに表に出る。抗争が始まると、当事者の時間感覚が変化するからだ。20年前に古い大福帳を踏んづけたような記憶が次々と甦り、ただでさえ複雑な関係を一層複雑にする。さらに伝聞の不確かな情報が耳に入ると、「そうだあいつが教えたに違いない」という認識を抱き、過剰反応する人が出てくる。
次に興味深いのは、恣意的なテキスト解釈についてだ。
〈おれは自分では悪人でないつもりだったが、古(クー)家の大福帳を踏んづけて以来、少しあやしくなった。やつらは何か考えがあるらしいが、おれには見当がつかぬ。まして、やつらは仲たがいすると、すぐ相手を悪人よばわりするんだから。おれは今でもおぼえている。兄貴が論文の書き方を教えてくれたとき、どんな善人でも少しけなしてやると、マルをたくさんくれたっけ。悪人を弁護してやると「奇想天外」とか「独創的」とほめてくれたっけ。やつらが何を考えているのか、おれに見当のつくはずはない。まして、食おうと思ってる際なんだから。/もの事はすべて、研究してみないことにはわからない。むかしから絶えず、人間を食ったように覚えているが、あんまりはっきりしない。おれは歴史をひっくり返してしらべてみた。この歴史には年代がなくて、どのページにも「仁義道徳」といった文字がくねくねと書いてある。おれは、どうせ睡れないから、夜中までかかって丹念にしらべた。そうすると字と字の間からやっと字が出てきた。本には一面に「食人」の二字が書いてあった。/本にはこんなにたくさん書いてある。小作人はあんなにたくさんしゃべった。そのうえ、にやにや笑いながら、へんな眼でおれを見やがった。/おれだって人間だ。やつらは、おれが食いたくなったんだ〉
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source : 文藝春秋 2018年08月号