言葉を大切にする医師との38年間の交流
日野原重明先生が満100歳の誕生日を迎えられたのは、6年前の2011年10月4日のこと。その5日後の10月9日日曜日、東京湾岸の幕張メッセで開かれていた日本死の臨床研究会年次大会の初日、午前10時過ぎから、その日のプログラムの目玉として日野原先生の特別講演があるというので、会場は2000人を超える会員でいっぱいになっていた。
私は2番手の次の講演を引き受けていたので、最前列の席に座っていた。入口から研究会の人に案内されて入って来られた先生は、100歳とも思えない爽やかな足取りで壇上に上がると、舞台左手の演台でハンドマイクを手に取り、何もない中央に進み、原稿もメモも持たずに立ったままの姿勢で講演を始められた。舞台は高さが50センチもないくらいの低い平台の仮設のものだったので、最前列にいた私は、先生の姿を間近に見つつ、耳を傾けていた。ふと気がつけば、先生のネクタイの締め方が少し乱れていた。前の幅広の部分が短く、後ろの細い部分が長く下がっている。結び目も少し横にずれていた。
先生は、そんなことはお構いなしに、老いていかに前向きに生きるかについて、時折自身の日常やユーモアを交えつつ、立ったままで話を続け、ぴったり90分で講演を終えられた。
私は舞台から下りられた先生に、一言「100歳記念の講演、感銘を受けました」とご挨拶をして、壇上に上がった。そして、先生はそのままお帰りになられたと思って、少々失礼かなと思いつつも、冒頭にこう話した。
「皆さん、日野原先生の講演、いつもながらに感銘深い言葉がありましたが、先生のネクタイに気づいた方はおられますか。ネクタイの結び方が少しずれていましたね。私はそのネクタイから、先生が朝早くからお出かけの準備をされる情景を思い浮かべました。午前10時までにこの会場に駆けつけるには、8時には世田谷区のご自宅を出なければならない。奥様が入院されているので、早朝でもネクタイなど身支度の準備をおひとりでなさる。100歳にしてなおも失わないそういう自律心の強さ。私は先生の後を追う若輩として、講演の中身以上に、そのことから大きな学びを得ました」
意表を突くユーモア
ところが、私が講演を終えて、壇上から下りると、お帰りになったと思っていた先生が出口近くの席から立ち上がって、笑顔で近づいて来られるではないか。そして、私に握手をすると、こう言われたのだ。
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source : 文藝春秋 2017年09月号