人が死んでも誰も責任を感じない
子どものころから歌舞伎に親しみ、歌舞伎の企画、制作、脚色に携わるなど、歌舞伎を知り尽くした著者が最も得意とする、バックステージ・ミステリーである。
時代設定は昭和10年。3年前に建国された満州国の皇帝溥儀を木挽座に迎え、「勧進帳」「紅葉狩」を上演することになる。
代表的な演目であるその「勧進帳」のセリフが、あろうことか「不敬に当たる」として、国粋主義者に糾弾される。交渉にあたっていた興行主の専務が舞台装置で首を吊り、さらに関係者が2人も殺される。
史実とフィクションの混ぜ合わせ方が面白い。「勧進帳」「紅葉狩」は、溥儀が歌舞伎座に来たとき、実際に上演された演目だ。「勧進帳」に右翼がケチをつけるのはおそらく著者の創作だと思うが、「源氏物語」が「不敬」を理由に上演を禁じられた歴史はある。
歌舞伎座は「木挽座」、興行会社は松竹ならぬ「亀鶴興行」で、歌舞伎界の「女帝」六代目荻野沢之丞や労働争議で破門され新劇団を立ち上げる荻野寛右衛門といった役者たち、時代劇の若き天才映画監督中山といった人物像にも、モデルの顔が見え隠れする。
「探偵」役の主人公桜木治郎は早稲田大学の講師で、江戸の狂言作者、桜木治助の末裔という設定だ。亀鶴興行の外側にいる人間だが、幕内に知り合いも多く、舞台裏にも自由に出入りできる。亀鶴興行社長の大瀧や、荻野沢之丞からも、何かあると相談される立場である。
実際に事件の捜査にあたるのは過去作の『壺中の回廊』『芙蓉の干城』にも登場した築地署の警部笹岡と、その部下の薗部の2人で、彼らは外部であり内部でもある桜木から情報を得ようとして何かと近づいてくる。面白いのは笹岡と薗部のコンビが一枚岩ではないことで、会社として拡大する過程で闇を抱え込んだ「亀鶴」と裏で結んでいるらしい笹岡を警戒して、若い薗部が桜木を頼りにするのが妙にリアルだ。
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source : 文藝春秋 2022年12月号