コロナと戦った3人の総理

尾身 茂 新型コロナウイルス感染症対策分科会会長
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意思決定があいまいでは次の危機は乗り切れない
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尾見氏

(0)政府と専門家の意見が違うのは当たり前

 政府は6月に検証報告書「新型コロナウイルス感染症へのこれまでの取組を踏まえた次の感染症危機に向けた中長期的な課題について」をまとめました。これに目を通したとき、気になった箇所がありました。

 それは〈今回、専門家助言組織のメンバーの個々の発言が政府方針と齟齬があるかのように国民に受け止められる場面や、専門家と行政のどちらの立場としての説明なのか分かりづらい場面が生じるなど、リスク・コミュニケーションのあり方として問題があった〉いうくだりです。

 特に気になったのは前段のほうで、政府と専門家の意見に齟齬があることを問題視する受け止め方です。政府と専門家は立場も違えば、見ているものも違います。意見が違うのは当たり前なのに、それが理解されていない。政府と専門家には、それぞれ本来あるべき役割分担があります。その両者の意見が違ったからといって、それで「リスク・コミュニケーションのあり方として問題があった」というのは問題のすり替えではないか。リスク・コミュニケーションに問題があったとすれば、それは別な点に原因があるからだと私は考えています。

 この報告書をまとめる前に、有識者会議のヒアリングにも呼ばれています。専門家として話をするのは脇田隆字さん(国立感染症研究所所長)と私で7分ずつ。7分で2年半のことをどうやって話したらいいのか。準備の時間は余りありませんでしたが、私たちは大事な機会だから伝えきれないことがないように、ペーパーを準備して最も大切だと思っていることを書きました。それは、「緊急時に意思決定した政策内容やその理由について、市民とコミュニケーションを実施するのは、政府の役割である」ということでした。これは自分たちとしてはキーメッセージとして強調したつもりでしたが、検証報告書には、このことが触れられていませんでした。

歴史の審判を意識して

 そもそも感染症の専門家が表に出てきたのは、2020年2月24日にさかのぼります。新型コロナウイルスの全国的な感染拡大がほぼ間違いないという状況を背景に、「専門家会議」として自主的に記者会見をして「見解」を発表、行動自粛を呼びかけたのです。専門家は本来、前に出るべきではないと思っていましたが、当時、厚労省はクルーズ船の対応に忙殺されていて、迫りくる大きな危機に大きな方針を打ち出すには、とても手が回らない状況でした。

 政府にも伝えていましたが、そのまま感染が広がれば、医療や検査がパンクする可能性があるのに、専門家として何も言わなければ、歴史の審判に耐えられないのではないか。そんなやむにやまれぬ思いから出た行動でした。前のめりだったと思いますが、「嫌われたくない」という理由で言うべきことを言わない、つまり“忖度”することを専門家としてやるべきではない、と。あの時から、意見を表明することが、政府や官邸から必ずしも快く思われないことはわかっていました。

 日本の新型コロナウイルス感染症の対策が始まってまもなく3年。当初は、1回会見をして最初の見解の公表で終わりのはずが、その後の「三密回避」の提案も続き、数えてみると2年半で70本以上の提案を政府に出しました。未知のウイルスが相手ですし、国全体にかかわることですからエビデンスが十分にないことも多く、いつもパーフェクトな提案ができたとは言えません。しかし時間の制約、データの制約、そして一部の専門家の属人的な努力に頼らざるをえない人的リソースの制約という3つの制約の中で、できるだけのベストを尽くしたとは思っています。確固たるエビデンスがなくても、専門家として培ってきた知識と経験からやったほうがいいと判断できるものは提案してきました。提言の根拠となるデータや考え方はすべて公開し、記者会見でもできるだけくわしく説明してきたつもりです。

大事な局面になるほど“素”が出る

 少なくとも今回の専門家グループのメンバーは、政治からどう思われようが、自分の考えを発言する“アニマル”でした。リスク・コミュニケーションの世界では、オネスト・ブローカーというそうですが、常に信じるところを述べる。その自負があります。

 ただ、忖度しないといっても、いつも政府と対立をしてきたわけではありません。提案の多くは、政府が受け入れて実行してくれたというのが実感です。しかし、いくつかの場面で専門家の意見を聞かずに政府が決め、発表してしまうことがありました。

 安倍晋三元総理のときのマスク配布や、菅義偉前総理のときのGoToキャンペーン、岸田文雄総理の濃厚接触者の待機期間短縮などがそうです。もしかすると専門家に聞いてもやぶへびだ、聞けば反対意見を出されかねないという懸念を抱いたのかもしれません。あるいは、政府にとって大事なことは専門家に聞かずに決めたいという思いなのか、よくわからないところですが、ある時は十分に聞いてくれるけれど、ある時はまったく聞いてくれないということが何度かあったのは事実です。

 日本では、危機に際しての「意思決定の文化」がまだ確立されていないというのが私の実感です。まだ、その時々の雰囲気で、状況を見ながらやっているところがある。つまり意思決定のプロセスはあいまいで、言語化されていない。専門家の意見を聞きつつ、ほかの政治状況も考え併せて結論を導くという正・反・合の弁証法のようなプロセスが足りなかった。そこに私の問題意識がありました。これは次回のパンデミックに備えた一つの教訓だと思います。

 これまで3人の総理がコロナ対策のリーダーシップを取られましたが、マネジメントのスタイルは異なります。それは人間の個性の違いから来る。大事な局面になればなるほどリーダーの“素”が出るのです。もちろん、個性ですべてが決まるわけではなく、その時の政治状況とか、内閣の基盤も関係する。だからこそ、意思決定のルールづくりは大事ではないかと考えるのです。

 5年後か10年後か、あるいは50年後なのかわかりませんけれど、次の激しいパンデミックは必ず来る。これは地震や津波が来るのと同じくらい確かなことです。ですからその時に備え、この2年半の経験をもとにしっかりと深い議論をしておく必要がある。3人のリーダーと共に遭遇したケースを振り返りながら、危機における意思決定のありかたを考えてみたいと思います。

(1)安倍総理――五里霧中の中で

 安倍元総理の時期は、まだ新型コロナウイルスの性質がわからず、いずれ世界的な広がりになることは予想されてはいたものの、当初はこの感染症のくわしい特徴もわかっておらず、もちろんワクチンもまだ存在しませんでした。それゆえ対策は手さぐりにならざるを得なかったところに、のちの菅前総理、岸田総理との大きな違いがあります。

安倍首相
 
安倍元首相

 安倍総理に初めてお目にかかったのは、最初の緊急事態宣言を出す直前の20年4月6日、官邸の総理執務室でした。マニラのWHO西太平洋地域事務局に勤務していた時代にも、当時官房長官だったご本人にお会いしましたが、その時のことは覚えておられたかどうか。専門家会議の副座長だった私への接し方は、対策を練るミーティングスタッフの一人といった感じでした。独立した外部の専門家というより、専門性のある自分のスタッフという表現がぴったりきます。「尾身さん」と気さくに語り掛けてはくれますが、そこはハッキリ憶えています。

「布マスクの全世帯配布」を表明されたのは、ちょうどお目にかかった頃のことです。ウイルスを通さない不織布製ではなかったこと、汚れや虫の混入が見つかるなどの不手際が重なって1カ月もしないうちに未配の布マスクはすべて回収されることになりました。

 あの時、事前に意見を聞いてほしかったと思いました。当時はマスクでなく、検査機器を充実させ検査件数を増やすことの方が、優先度が高かった。聞いてもらえれば、別の使い途を提案できたかも知れません。

 専門家に聞かずに打ち出したのは、その約1カ月前の学校の一斉休校要請の時も似たような状況でした。その頃には、この病気はインフルエンザと違って小中学生がドライビングフォースではないことがわかっていましたから、学校を止めるのは意味がない。それはわかっていたことで、専門家はみな、理解に苦しみました。

 政治家の重要な役割は「判断」です。政治家が国全体のリーダーとして専門家と違う独自の判断をすることは当然ありますし、尊重されなければなりません。しかし危機に際しては、一定の手順を踏まないと、国民に「合理的だ」と納得してもらえず、協力を得られなくなる。感染症対策には、サイエンス的な医療的側面とテクニカルな技術的側面とがあって、政治家は判断を下す際、この医療的、技術的な側面を十分に咀嚼したうえで判断する必要があります。最終的な政治判断の前に、こうした議論を欠かすことはできない。マスクも一斉休校も、その点への配慮がないまま判断がなされてしまいました。

 これに対して緊急事態宣言の会見で安倍総理が発した「最低7割、極力8割」(接触制限)のフレーズは、当時専門家の主張が曲げられたのではないかと疑いを持つ人がいたようですが、私としては政治家と専門家の役割分担がうまくいった例だったと考えています。

 この会見の直前の面談で、安倍総理から8割制限について「どう思うか」と問われ、私は西浦博さん(京都大学大学院教授)が開発した数理モデルを根拠に、「8割でお願いしたい」と述べました。こうしたモデルを根拠に使うのは初めてでしたが、拠り所にするものは他にないし「8割」は私たちの実感にも合っていましたから。

 すると安倍総理から返って来たのは「8割はちょっときつい。何とかならないか」という反応です。その言い方には強い意思を感じました。「8割」では、国民の自由を奪い過ぎるという直感が働いたのではないでしょうか。政治家としての勘なのでしょう。そこで安倍総理とすり合わせた末、最終的にできた表現が「最低7割、極力8割」だったのです。

 西浦さんとしては「8割」は科学的に算出したものだから「接触8割減」と言って欲しかったと思いますが、私自身は「最低7割、極力8割」の表現にさほど違和感は感じなかった。数理モデルは優れた方法論ですが金科玉条のものではないし、国民に実際に協力してもらえるかどうかが問われる一方、そもそも7割減ったのか、8割減ったのかを厳密に測れるものではありませんでした。何より専門家の意見を取り入れてくれたのはありがたかったという思いがありました。

(2)菅総理――経済回復に強い意思

 コロナとの戦いでいちばん大変だったのは、安倍元総理の後を継いだ菅前総理だったと思います。20年9月に就任したあと、21年1月、4月、7月と在任中に3度にわたって緊急事態宣言を出すほどの大きな流行に見舞われ、専門家との意見の違いが最も際立った政権でもありました。それは菅総理が、感染対策にも心を配ってはおられたにせよ、とりわけ経済回復に強い意思を持っていたことと関係しています。

 就任後まもなく10月1日から東京発着のGoToトラベル、GoToイートが始まりました。地方は7月からスタートしていましたが、東京発着のGoToは見送られていた。東京発着分が始まれば全国的に大きな人の流れができますから、感染状況に大きく影響します。官房長官時代から、菅総理が経済の回復を目指してGoToに賭けていたことは伝わっていました。そもそも7月時点で私から政府に「議論させてください」と談判したこともありましたが、聞き届けられずにきたのです。

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菅前首相

菅総理の「堅いところ」

 11月から12月にかけて第3波は拡大し、東京では医療崩壊の兆候が表れていました。まだワクチンがない状況です。専門家は、早めに人流を抑え込むしかないと考えていました。流行がきたら早期にGoToを止め、感染者数が減ったらまた再開する。「ハンマー&ダンス」を繰り返すしかない、と。11月20日には、やむにやまれぬ思いから「私たちの考え」(分科会)を発表し、政府に3週間集中して飲食店への時短要請と流行地域のGoTo一時停止を促しました。

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source : 文藝春秋 2022年11月号

genre : ニュース 政治 医療