昨年の夏、オリンピックに続いて八月二十九日から九月九日まで、「障害者スポーツの祭典」と呼ばれるパラリンピックの第十四回大会が英国のロンドンで開催されました。
世界の百六十四ヶ国・地域から四千三百人もの選手が参加し、テレビで放映された開会式も華やかなものでした。日本からは、車いすマラソンの土田和歌子さんが主将を務める百三十四人の選手団が参加し、車いすテニスの国枝慎吾さん始め参加した大勢の日本選手の健闘を覚えておられる方も多いと思います。
ロンドンのパラリンピックをテレビで観戦しながら、一九六四年、東京オリンピックに引き続いて開催された第二回パラリンピックのことを思い出していました。今から四十九年前、日本の身体障害者スポーツの夜明けとでも言うべき画期的な出来事だったと思います。
当時は身体障害者についての社会の関心は低く、障害者も引きこもりがちで、身体障害者のスポーツは数少ない障害者施設等でリクリエーションとして行われる程度でした。その中で、今から思えば誠に慎ましく手探りとも言える状態で東京パラリンピックが行われ、その翌年、この大会に触発された形で、全国身体障害者スポーツ大会が、その名の示す通り、わが国の身体障害者のための全国的なスポーツ大会として初めて岐阜県で開催されたのです。
東京パラリンピック開催の是非が国内で真剣に論議され始めたのは、その四年前のローマ・パラリンピックの終了後のことでしたので、この実現に向けての関係者の努力には実に並々ならぬものがあったと想像されます。
妃殿下としてのご尽力
当時は、僅かに、後述のストーク・マンデビルでグットマン博士の指導を受けた国立別府病院の中村裕医師のように身体障害者にとってのスポーツの重要性を理解する先駆者が居て、東京パラリンピックは、その人たちとその支持者の熱意と努力でようやく可能になったのです。
そして、この日本における障害者スポーツの出発点とも言うべき大会が実現するにあたって、当時まだ皇太子・皇太子妃として三十代に入られたばかりの天皇皇后両陛下が、そのお若い力を惜しみなく傾けられて、未知の分野に挑む関係者を支援し、励まし続けられたことを、幾つかの古い記録の中に見付け、深い感慨を覚えました。
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source : 文藝春秋 2013年02月号