十河(そごう)信二(1884〜1981)は戦後、国鉄総裁として東海道新幹線の計画を推進した。牧久氏は『不屈の春雷』でその生涯を描いた。
神奈川県・国府津で妻とふたり、静かな余生を送っていた十河信二に、国鉄総裁就任の話が持ち込まれたのは昭和30年春のこと。71歳となっていた十河は健康上の理由で何度も固辞する。だが、ついに断り切れなくなり就任を決意した。その時、密かに遺書を認(したた)めた。
「広軌新東海道幹線はわが民族にとり明治以来の夢なり 夢は生命なり この夢を実現せしむることは先人に対する予の責務ともいふべし」
明治42年、発足したばかりの鉄道院に入ってから約50年。師と仰ぎ続けた初代総裁・後藤新平ら先人が思い描いた「広軌新東海道幹線の夢の実現」を心に誓ったのである。
最大の問題は建設費だった。技師長の島秀雄を中心に技術陣が必要経費を試算したら、当時の金額で3800億円。十河は即座に言った。「これじゃ高すぎる。国会に提出すれば議員たちはびっくりして、寄って集って計画を潰しにくるだろう。半分に削れ」。心配する技術陣を十河はこう説得した。「半分にした予算が国会を通れば、あとはおれが責任を持つ。心配するな」
予算は国会を通過し東海道新幹線は昭和34年に着工する。建設が軌道に乗ると、十河は「予算不足」を世間に公表する時期を窺っていた。それは建設が後戻りできないことが明白になり、同時に後任の総裁が決定する前でなければならない。
全線の9割の建設が終わり、昭和38年度予算が執行に移された直後の同年4月末、十河は予算不足を自ら報道陣にリークする。囂々たる非難が起きた。十河は辞任し、新幹線の開通式にも呼ばれなかった。
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source : 文藝春秋 2023年1月号