地方分権が叫ばれて久しい。
日本は明治以降、近代化を進めるにあたって中央集権型のシステムを採ってきたが、近年、これでは社会福祉などの分野で地域の実情にそった的確な対応が困難となり、地方分権を進めて住民に近い自治体が行政をできるようにすることが必要になってきた。
そのため、かつては声高に地方の自立を主張し国に辛口の注文をつける知事が注目され、地方分権を主導した全国知事会は「闘う知事会」などともてはやされたが、最近は地方分権が話題にのぼることは少ない。地方分権が完成型に近づいたからではない。分権改革が一時期の盛り上がりから冷めてしまった理由には、主に、以下のことが考えられる。
一つ目は、自治体への税源移譲が進まず、自治体財政の自由度が高まらないこと。二つ目は、人口減少の進行で、分権の受け皿としての自治体の執行能力に不安が生じること。三つ目は、不祥事の発生に見られるごとく、自治体に自律心の欠如が見られること。四つ目は、ITなどに長けたデジタル人材が不足し、行政のDX化が停滞して新しい住民サービスが展開できない自治体が多いこと、などだ。しかし、より本質的な問題もある。
地方分権とは、国の立法府(国会)及び行政府(内閣、各府省)の権能を自治体に移すと同時に、その権能を行使するにふさわしい自治能力を自治体が発揮することだが、その実現には「国権の最高機関であり、唯一の立法機関」である国会による立法措置を俟たなければならない。すなわち国会を説き伏せ、国会に働いてもらわないと分権は一歩も進まない。したがって、自治体関係者だけでなく、経済界や労働界、マスコミを含めた国民の広い支持を集め、いかに国会を動かすかが焦点となる。
わが国では1980年代以降、国政の場で行政改革が主要な政治課題となってきた。そこでのスローガンは「官から民へ」と「国から地方へ」であり、分権改革とは国から地方へ中央省庁の持つ権限を移す行政改革の一種であると理解されてきた。
この点は純粋に自治権の拡充を求めた自治体側とは同床異夢だが、自治体側はそこに目をつぶってでも国会を動かそうとした。分権改革は、こうして行革の一環という面が強まり、議論が、国の所掌事務をスリム化し自治体の所掌事務をいかに増やすのかという、もっぱら国と自治体の事務配分の問題に終始した。また、その成果が公務員数の削減や予算の縮減など、目に見える形で表れることを常に求められた。
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