著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、内田樹さん(哲学者)です。
前に講演の場でフロアからの質問を受け付けたら、立ち上がった青年が「内田さんのその根拠のない自信はどこから来るんですか?」と質問して満座が爆笑したことがあった。少し考えてから「内田家のみなさんから愛されて育ったからではないでしょうか」とお答えした。
内田家は父、母、兄と私の四人家族だった。私が生まれてから父が亡くなるまでの半世紀、この四人が基本単位だった。長じて兄も私もそれぞれ結婚して家族を持ったけれど、しばしば妻子を家に残して、四人で旅に出かけた。それを「家族旅行」と呼んで怪しまなかった。
「家族」は一つの多細胞生物のようなものだと私は思っている。私にとって父も母も兄も私の身体の一部分だった。みんなもう亡くなったが、彼らの語った言葉や、表情や、手触りを今もありありと思い出すことができる。「あの時、僕に言おうとしたのは、このことだったのか」と不意に腑に落ちるというようなことは今も時々起きる。
私はとりわけ母親と仲が良かった。自分と半分同じ成分からできているような気がしていた。だから母を理解しようと努力したことが一度もない。中学生の頃までは学校から帰ると台所のテーブルをはさんで母親と長い時間おしゃべりをした。「樹はよくあんな長話の相手ができるな」と兄が私の「忍耐力」に感心していたけれど、私は別に我慢していたわけではない。母の声を聴いているだけで暖かい気持ちになれた。
私は六歳の時に重篤な病気に罹り、手当が遅れたせいで、医師から「余命わずかです」と宣言されたことがある。とりあえず入院して、付き添ってくれた母と一つのベッドで寝起きした。母はその一月の間、死期を間近にしたわが子に対して「あの時こうしておけばよかった」という悔いを残すことなく、注げる限りの愛情を注ぐ決意でいたのだと思う。さいわい新薬が効いて、私は一命を取りとめることができた。
その時私は「母親から注げる限りの愛情を集中的に注がれる」という例外的な時間を経験することができた。この子の苦痛を少しでも軽減して欲しい、一秒でも長く生きて欲しいという若い母親の渾身の祝福がおそらく私に生涯にわたる「根拠のない自信」を与えてくれたのだと思う。感謝しかない。
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source : 文藝春秋 2023年3月号