つまるところ方言の話

巻頭随筆

松尾 諭 俳優
エンタメ 芸能 読書

 2022年はありがたい事に、これまでの人生で最も多忙な1年でした。忙しいという事を「ありがたい」と思うことはやや時代錯誤な気もするし、実際のところ家族との時間があまり取れなかった事もあったので「ありがたい」とは思いたくないのだが、仕事がなかった頃から今の状況を考えると、やはりそれは「ありがたい」と言わざるを得ない。どちらにしても、忙しい事を喧伝するのも忙し自慢のようになるので、あまり品の良い話とは言えないが、本業だけでもかなりの仕事量があり、それに加えて2作目となる著書の執筆に追われ、脳味噌が許容範囲を超えて逃げ出したくなるほどだった。忙しかったという話はこれくらいにしておくが、著書の執筆に関しては、忙し自慢ではなく、宣伝です。小説「フラッパー」文藝春秋より絶賛発売中です。

松尾諭氏 ©文藝春秋

 小説を書き下ろすということがいかに過酷な作業であるかと骨身に沁みた2022年だった。「拾われた男」を書き終わった直後も、もう二度と書きたくない、と思ったのに、殆ど間を置かずして2冊目のお話をいただいた。大して本を読みもしない男にとっては恐れ多くも、有難い事なので受ける事にしたのだが、やはりまた、書き終わった今現在は、もう二度と書きたくはないと思っている。ただ二度あることは何とやらで、先の事はわからない。

 大して本を読まないと言ったが、執筆中ともなると殆ど読まない。それはプロの作家の文章に影響を受けたくないからなのだが、車谷長吉だけは例外である。彼の作品には関西が舞台のものがいくつかあり、その土地の描写、特に尼崎の描き方は秀逸で、更に言うなら、文中に出てくる関西弁が非常に効いていて、拙著でも少し意識をし見本としている。ただし同じ様に表現できているかと言うと甚だ疑問である。

 ご存知ない方もいらっしゃると思うが、僕の本業は俳優業である。その本業の方ではここ数年関西が舞台となる作品の出演が多い。僕は出身が兵庫なので、関西弁の台詞に左程抵抗はないが、非関西圏の人間にとっては、相当厄介なもののようだ。台詞だけではなく、その独特のイントネーションをも覚えなければならないし、それ以上に面倒なのは、関西人の視聴者が一際方言にウルサイからである。僕にしてみれば、関西弁の細かなニュアンスは関西人にしかわからない、つまり視聴者の大多数には分からないのだから気にしなくてもいいのではないかと思うのだが。

 関西弁に限った話ではないが、方言を話すのに必要なのは、乗りと勢い、つまりグルーヴではないかと思っている。以前、大阪が舞台のとあるドラマに出演した時、とある若手女優が、イントネーションはたまにおかしくなっても、抜群のグルーヴと勢いで、女流しゃべくり漫才師という難役を演じ切っていたのには舌を巻いた。逆も然りで、イントネーションは完璧なのに、なんだか関西弁に聞こえない、という俳優さんもいた。

 日本各地には様々な方言があり、もはや外国語かと思うほど難解なものも多くある。現在撮影中の連続テレビ小説「舞いあがれ!」の現場で、先日、長崎県の五島列島の方言カルタで遊ぶシーンの撮影があったのだが、どれをとってみても、さっぱり意味がわからなかった。

 島の方言というのは殊更に独特なものが多いようである。数年前に妻の故郷である沖縄の宮古島を訪れた際に、小さな民俗博物館のような場所に立ち寄った。そこで見た宮古語の文献には「い゜」や「す゜」といった、どう頑張っても発音できないような文字が書かれていた。話し言葉にしても、宮古島の老人の話す言葉はほとんど理解できない。理解はできないけど、耳心地が良いので、分かったふりをして話を聞く。宮古島は古くは大陸や台湾との貿易で栄えた島というので、それが宮古語に影響しているのだとかそういった事が文献に説明として添えられていた。それを考えるとロマンがある。いっその事映画かドラマで宮古島が舞台となる時代劇を撮ってもらいたい。そしてその作品には是が非でも出たい。あの宮古島の言葉の独特のグルーヴを台詞として口にしてみたい、というのもあるが、本音は宮古島で長期ロケをして島の魅力を満喫したいのである。

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source : 文藝春秋 2023年3月号

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