愛が魂に触れた瞬間

名画が語る西洋史 第127回

中野 京子 作家・ドイツ文学者
エンタメ アート

名画をのぞき込んでみると…

 

衝撃のラスト
蝶が登場する映画と言えば、『西部戦線異状なし』。ドイツの作家レマルクによる世界的ベストセラーをもとに、1930年に制作されたアメリカ映画だ(アカデミー賞複数受賞)。主人公の若い志願兵が、第一次世界大戦の激戦地西部戦線で戦う。ある日、なぜか双方ともに発砲がほとんどなかった。ふと目の前を一羽の蝶が舞う。主人公は思わず塹壕から少し身をのりだし、手を伸ばす。その刹那、敵弾が彼の命を奪った。

 


 

愛が魂に触れた瞬間

 これは有名なローマ神話の一場。「愛」が「魂」に触れた瞬間を描いたもので、物語の黒幕はヴィーナスだ。

 王女プシュケの美貌が天界にまで鳴り響き、嫉妬した美神ヴィーナスは、息子である愛の神アモル(=エロス、クピド、キューピッド)に「恋の矢」を射たせることにした。この矢に貫かれるとどんな相手にも恋してしまうので、プシュケを愚鈍な男と結びつけるつもりだったのだ。ところがそんな母の思惑に反し、アモル本人がたちまちプシュケに一目惚れ。

 ――大きな翼を持ち、矢筒を背負ったアモルが、繊細なガラス細工を扱うようにそっとプシュケを抱いて額にキスをする。プシュケには神の姿が見えないので、ぽかんとした表情のままだ。とはいえこれまで経験したことのない不思議なざわめくような感覚に、思わず胃のあたりに両手を当てる(恋を知る者なら誰しも覚えている、あの胃がぎゅっと絞られる感じなのだろう)。

 プシュケの頭上を蝶が舞う。なぜなら王女のこの名には「蝶」と「魂」という2つの意味が含まれているからだ。ドラマティックに変態する蝶は、世界各地の文化圏で「魂の化身」と見なされてきた。

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source : 文藝春秋 2023年3月号

genre : エンタメ アート