亡くなった兄を「紙の棺で蓋う」
琵琶湖のほとりに暮らす翻訳家の著者のもとに、深夜、見知らぬ番号から電話がかかってくる。発信者は宮城県警塩釜署の警察官。縁を切ったはずの兄が、自宅で亡くなっているのが発見されたという。
まだ54歳で、発見したのは一緒に暮らす小学生の息子だった。兄は7年前に離婚していて、両親は他界、遺体を引き取れるのは著者しかいない。初めての土地で兄を葬り、一人残された息子の良一くんを母親が引き取れるように手続きし、アパートを片づけ、大量のゴミを処分し、車を廃車にする。怒濤の5日間が始まった。
こんな家族もいるんだねと、のんびり他人事としてこの本を読めるひとは自分の幸せをかみしめたほうがいい。多くのひとはわが身に引きつけて、心をひりひりさせたり、苦しくなったり、まっすぐに届かない肉親への愛情に身もだえしたりしながら読むことになるだろう。
限られた時間の中での喪の作業は、まるでフィルムを早回しするようにてきぱきと進められる。一緒に立ち会うのは、美しくてクールで用意周到な、兄の前妻、良一くんの母親である加奈子ちゃんだ。離婚し、立ち会う義理などない彼女だが、息の合った相棒として立ち働く。亡き人に対して距離のある2人の女性の水際立った名コンビぶりは、このまま映画にしてほしいほど。
母や叔母に金の無心をし、迷惑をかけないと著者にアパートの保証人になってもらいながら家賃を滞納する兄に、著者は怒りを感じていた。巻き込まれまいと思う気持ちが強く、「一刻もはやく、兄を持ち運べるサイズにしてしまおう」と身もふたもないことを考える。
そんな気持ちが、兄を荼毘に付し、汚れたアパートを片づけるうちに徐々に変わり始める。自分が知らない、兄のその後の人生はどのようなものだったのか。経営する会社をたたみ、高血圧に糖尿病、狭心症も併発してからは急速に貧困状態になり、亡くなる前には短期間だが生活保護も受けていた。それでも息子を育てながら、新たに警備員の仕事につこうとしていた矢先の、脳出血による突然死だった。アパートの壁にかけられていた警備員の制服。さりげない描写に感情が揺さぶられる。
疾走感あふれる文章には湿り気がなく、修羅場においてもユーモアを忘れない。死がすべてを洗い流すことはないが、兄を知るにしたがって、無彩色だったその世界が次第に色づき、陰影が深まるのがすばらしい。
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source : 文藝春秋 2020年7月号