いつもご愛読いただき、ありがとうございます。
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3月号の総力特集「不老長寿への挑戦」の中で、電子版で大変よく読まれているのが「老いるショックと射精道」。みうらじゅんさんと新書「射精道」が話題の医師・今井伸さんの対談です。
中高年の性生活についてざっくばらんに語り合っているのですが、対談にも同席した私が思わず感慨にふけったのはみうらさんのこんな一言でした。
「でも僕、逆に歳をとって良かったなと思ってるんですよ。ようやく煩悩から解放されたような気がしてね。(中略)枯れ始めたことで、いまは僕のほうが完全に優位なので、あいつが勝手に勃起しそうになると、『今さら何してんだ、おまえ』と言えるようになりましたから」
私が初めてみうらさんに出会ったのは、1989年のある春の日でした。私はスポーツ誌「ナンバー」に配属された文藝春秋の新入社員。先輩編集部員のお使いで若手イラストレーターのみうらさんの事務所に高校野球のイラストを受け取りに行ったのです。その日のことは今も鮮明に覚えています。
「僕は野球興味ないんだよね、『巨人の星』以外は」と言うみうらさんに、少年時代、「巨人の星」に夢中になったことのある私は即座に反応し、そこから3時間!「巨人の星」談義に花が咲きました。それがきっかけで生まれたのが「ナンバー」の異色企画「『巨人の星』巡礼の旅」です。みうらさんと二人で「巨人の星」をむさぼり読み、気になるコマに付箋を貼る。それを突き合わせて、漫画の聖地を訪ね、みうらさんは星飛馬、私は星一徹のコスプレ姿で懐かしの名場面を再現するという、時代を先取りし過ぎた企画でした。
この企画は、「あしたのジョー」、「タイガーマスク」とシリーズ化し、最後の「ブルースリー巡礼の旅」ではバブル景気のお陰もあり、香港ロケまで敢行したのです!
みうらさんとのお付き合いはその後も続きました。今は亡き「マルコポーロ」編集部では、様々なエロ企画をご一緒したり、酒場でみうらさんの武勇伝に大笑いしたりと、まさにむき出しの「煩悩」を何度も目の当たりにしてきたのです。
2012年4月、「週刊文春」編集長への就任が決まると、私はすぐにみうらさんに会いに行きました。
「みうらさんにとっての『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎の最晩年の傑作ですね)を書いてください」
それで始まったのが名物連載「人生エロエロ」というわけです。
そんな長いご縁もあり、一昨年には「第24回みうらじゅん賞」もいただきました。
あんなにギンギラギンだったみうらさんが、煩悩から解放されて良かったとは――。
お互い歳をとったな、「これが老いるショックというものか」とかつての“戦友”の言葉がしみじみと胸に迫ってきたのです。
文藝春秋編集長 新谷学
source : 文藝春秋 電子版オリジナル