昨年末に東京と大阪で「これからの芝浜」と題した独演会を行い、古典落語の芝浜を従来とは大きく変えて演じました。その噂を聞きつけたのか「なぜ変えたのか、芝浜のどこを変えたのか」を書いてほしいと編集部から御用命を受けました。
芝浜は落語中興の祖といわれる三遊亭圓朝が創った夫婦愛をテーマにした人情噺ですが、圓朝作というのは確かなことではないようです。物語のクライマックスは大みそかの夜というせいもあってか年末に演じられることが多く、ベートーベンの第九と同じような扱いを受けている一番有名な落語です。戦後に三代目桂三木助が安藤鶴夫の助言を受けながら独自の演出を加え大当たりした型を根幹にしながら昭和50年代に我が師七代目立川談志が三木助の演じた「良妻」を談志の考える「可愛い女房」として演じ多くの観客の支持をあつめ十八番とされている根多です。
私も40年以上前の中学生の頃に談志の芝浜を聞いて入門する決心をしました。少年にすべてをなげうっても人生を賭けようと思わせるだけの力が談志の芝浜にはありました。それだけ己にとっても大切な芝浜をなぜ変えようと思ったのか。その動機は将来に対する恐怖に近いような不安でした。昨年、「将来結婚をしたいか、その必要性を感じるか」というアンケートを10代、20代の男女にとったところ30%の若者達が「結婚はしたくない。必要性も感じない」と答えた、という記事を読みました。知人の20歳になるお嬢さんは「男なんて面倒なだけだからいらない」と両親の前で宣言したのだと。母親が、独りだと淋しいと思うときがくるわよ、と言うと「だから今から勉強して、良い会社に入ってお金を貯めて家を買って、猫を飼うの」と言われたと。「うちの子はまだ男性と付き合った経験は無いと思うのだけれど、どうしてそんな風に考えるのだろう」と驚いていました。
「談志さんの芝浜を初めて聞きました。素晴らしいと思いましたが、可愛い女房とは結局は縋る女として演じられているのですね」。これは40代女性の感想です。
ショックでした。私が感動した芝浜をそのまま伝えても相手の心に届かないという未来図がぼんやりとながら透けて見えた気がしたからです。
物をいわない猫との暮しのほうが自分を保つことができると思い込んでいる20代に届く芝浜とはどういう形のものなのか。それは時代だから仕方がないし、その危機を数多く乗り越えてきたからこそ現在まで落語は滅びていないのだとは理解してはいますが狼狽えるほどショックを受けている私の不安の根っこはなんなのか。
「自分も老いてゆくのだ」とはじめて意識せざるを得ない現実に直面したからだと思います。己れの人生の歴史を否定される時がもうすぐ来るのだ、共通の価値観も言語も持てない世代に向き合わなければならない時代がやがて来るのです。なにせ相手は猫でいいと思っているのですから。若者達もツイッターひとつ使いこなせない50代を理解しようがないでしょう。彼ら彼女らも我々世代がわからないが、わからないことを伝える言葉も、わかりたいと思う欲求も薄い、と私が思うのは年長者から教わらないかぎり落語家としてひとつも成長できないという特殊な環境で育ったからでしょうか。
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