それほど暗くはない1年間の浪人生活を経て、志望校ではない大学に入学した。1966年のことだ。
落胆して鬱屈するなどということはなく、当時、よその大学では死者を出すほど過酷なシゴキで名を馳せていたワンダーフォーゲル部に入り、その年の夏には羅臼岳から岬まで1週間かけて知床半島を縦走するなどして、大学生活を大いに満喫していた。当然、本業のほうはおろそかになり、一般教養科目や第二外国語の単位を落とす不届きな学生でもあった。ところが、2年生になった途端に生活は一変する。
近代文学の勉強をしたいと思って国文学を専攻した2年次の専門科目のなかに古代歌謡の演習があり、はじめて『古事記』(岩波文庫など)を読んだ。じつは『古事記』には110首余りの長短さまざまな歌謡が挿入されており、これがべらぼうにおもしろい。授業は、その歌謡を一首ずつ取りあげて順番に発表し議論するのだが、担当教員がまだ30代後半の中西進先生だったのも、『古事記』がおもしろいと思った理由かもしれない。
古代の歌の譬喩表現は新鮮で、描かれている情景や完全な定型になりきっていないことばのリズムにも驚かされた。たとえば、出雲の神ヤチホコ(八千矛神、大国主神の別名)が、正妻スセリビメ(須勢理毘売)の嫉妬に我慢できなくなって倭(やまと)に行っちゃうぞと揺さぶりをかける場面では、衣の色を黒―アヲ(青/緑)―アカ(茜)と取り替えることで、その心情を巧みに描いてみせる。おとめの胸のふくらみは「沫雪(あわゆき)」、白い腕はコウゾの綱に喩える。なんとも大胆で衒いがない。そんなところに魅力を感じて『古事記』で卒業論文を書き、飽きることなく読み続けること55年、現在に至る。
ちょうど私が『古事記』に向き合いはじめた年の9月、西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書、1967年)が出たのは幸いだった。文化人類学の方法を踏まえて古事記神話の構造を読み解いた本書は、従来の研究を大きく転換させる力をもっていた。その構造分析は、今は批判すべき点もあるが、戦後の古事記研究を象徴する一冊だというのは、誰にも異論はなかろう。
もう一冊は吉本隆明
同時期に出た本で、私の古事記研究を振り返って忘れられないもう一冊は、吉本隆明『共同幻想論』(河出書房新社、1968年)である。手元にあるのは12月10日の再版だが、初版は12月5日。それほど凄まじい勢いで売れた。当時の学生にとって、そこで論じられた国家解体論は、わからないところだらけのバイブルだった。しかし、扱われている材料のひとつが『古事記』であったために、わからないからといって飾っておくだけではすますことのできない本だったのである。
蛇足になりそうだが、私が過ごした1966年から70年にかけての大学は、授業料値上げ阻止や安保廃棄・ベトナム戦争反対などで揺れており、御多分に洩れず私も国家とか共同体に向き合わずにはいられなかった。しかも、『古事記』などという時代錯誤の権化ともみなされる作品を研究対象にすることへの自問も欠かせない。ただ理屈はどうあれ、私にはおもしろい本でしかなかったのだが、『古事記』を国家に寄り添わせて考えるべきではないという立場はその時代に培われ、今も変わらない。それだけは、私にとって棄てられない矜恃といえるのだと思う。その下流に古老が語る拙著『口語訳 古事記』(文藝春秋、2002年)は位置し、「序」を後付けとみなす『古事記』「稗史(はいし)」論に至る(稗史というのは、国家の「正史」に対して民間で語られていた歴史のこと)。
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source : 文藝春秋 2023年5月号