弱者切り捨て

名画が語る西洋史 第129回

中野 京子 作家・ドイツ文学者
エンタメ アート

名画をのぞき込んでみると…

 

考える人

西洋絵画における頰杖のポーズには意味があり、「憂鬱質」の擬人像としても使われた。この憂鬱質は大凶の星サトゥルヌス(土星)の支配下にある不運な人々とされ、初期の絵画では陰気で怠惰だとして否定的に描かれている。ところが時代が下るにつれ、怠惰に見えるのは深い瞑想ゆえであり、芸術家や哲学者などに必須の性質と捉えられるようになった。ではこの鬱々とした男は、どんな状況下で何を思っているのだろう?

 


 

弱者切り捨て

 不気味な高波。今にもバラバラに壊れそうな筏。帆を膨らませる強風。水平線の果てに微かに見える船影……まるでハリウッドのスペクタクル映画を先取りしたかのようだ。

 構図もみごとなピラミッド型を成し、目覚ましい効果をあげている。下部には長々と横たわる死者たち、中ほどには病み疲れ、死を思う者たち、そして上部には生への強い執着を示す者たち。死から生へと身悶えしつつ立ち上がる生命力の強さが迫ってくる。

 本作は発表されるや否や大評判になったが、それには作品の完成度以外の要素もあった。現実に起きた大スキャンダルだったからだ。

 ――ナポレオンが退場した後、フランスは王政復古を遂げ、ルイ十六世の弟が亡命先から帰国してルイ十八世となった。彼は国を革命前の状態にもどすべく、亡命貴族たちを呼び寄せて次々に要職につけたが、その中に、かつての海軍大尉ショマレー伯爵がいた。

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source : 文藝春秋 2023年5月号

genre : エンタメ アート