特撮とテロル 第3回

ネオ麦茶から山上徹也へ 「ネトウヨ」と「テロルの時代」を読み解く

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『シン・仮面ライダー』で庵野秀明は一体、何に反抗したのか。山上徹也と木村隆二という二人の“テロリスト”の声はなぜ黙殺されるのか。山口二矢からネオ麦茶、加藤智大、青葉真司までテロルの系譜を辿る、批評家・大塚英志氏による短期集中連載第3回(「特撮とテロル 第1回」「特撮とテロル 第2回」はこちら)。

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「ネトウヨ」のことばの後で

 山上徹也と木村隆二という、二人のテロリストに対してはその「動機」を考えること自体が更なるテロを誘発する悪しき考え方だという議論が今回、強く語られた。オンラインでまず、そういう主張が喧伝され、事件の二、三日後にはワイドショーで企業家系のコメンテーターが木村の事件について扱うこと自体がおかしいと少し驚くような激しい口調で言うのを見た。

 啄木を踏まえるなら、山上徹也と木村隆二の「ことば」に共通なのは「今日」への批評を試み、「明日」を考えようとして頓挫している点だ。

 そもそも山上と木村は、彼らが当初はいわゆるネトウヨ的なことばの語り手であった点でまず重なり合う。山上や木村を左派の反安倍的な言説が誘発したという右派の主張に対し、山上や木村のSNSを根拠に、テロを行うのは右翼であり左派やリベラルではないという不毛なマウント取りが繰り広げられもした。

 確かに両名とも「ネトウヨ」ととれる言葉をSNS上に残している。

 その中で社会学者の伊藤昌亮は山上のツイートに頻出する単語を分析し、対象への憎悪度で言えば「統一教会」「家族」「韓国・北朝鮮」、嘲笑度で言えば「左派・リベラル」「憲法・安保」「韓国・北朝鮮」の順であったとする。ヘイトと冷笑の対象にズレがある印象だ。前者は彼の宗教二世としての憤り、後者はネトウヨ的な冷笑とある程度、分類できるだろうか。

木村隆二容疑者のものとみられるアカウント Twitterより

 また全ツイート中「女」の頻出度が三位であり、伊藤の分析を踏まえた五野井郁夫は山上の立ち位置を「いわゆる『弱者男性』論に分類」できる、とも言う。

 一方で木村のSNSとされるのは、彼が起こした被選挙権年齢・選挙供託金違憲訴訟の広報を名乗るもので、訴訟の過程が中心だが、その文脈の中で以下のような発言がある。

 自国民より外国人を優遇する政治家は国賊と言います。このような政治家は本来、選挙で落とされます。
(「被選挙権年齢・選挙供託金違憲訴訟」広報 @hisenkyoken、2022年8月30日)

「ネトウヨ」というよりは恐らく今の若い世代の「普通の」(肯定し得るという意味では当然ない)メンタリティだという印象でもある。

 他方、杉田水脈のLGBTの「生産性」を巡る発言では、こうも書く。

 多様性否定も肯定も、選挙で支持を得ることができれば、それが国民の声と言えますが、それは普通選挙を行っていることが前提です。
(「被選挙権年齢・選挙供託金違憲訴訟」広報 @hisenkyoken、2022年8月16日)

 LGBTに対する木村の立場はSNS内では明言されないが、杉田の発言が放任されるのは彼が主張する正しい選挙が行われていないという主張の根拠の一つであり、山上に比べるとミソジニー的な印象は弱い。

“戦中派”だった「恐るべき17歳」

 それでは彼らと彼らの「ことば」を改めて、どう考えるべきか。

 一つわかり易いのは世代論である。

 山上が登場した時、彼をいわゆる「ロスジェネ世代」として論じる世代論が散見した。

 確かに1980年前後生まれ、事件当時40代の初めという年齢は、宮台真司を負傷させた倉光実(事件当時41歳)、京アニ事件の青葉真司(1978年生)、十年ほど前の事件だが『黒子のバスケ』脅迫事件の渡邊博史(1977年生)も加わるだろう。

 彼自身がこの世代である佐藤喬は『1982 名前のない世代』で、この世代は、1997年神戸連続児童殺傷事件の少年A(1982年生)、2000年の西鉄バスジャック事件でハンドルネーム「ネオムギ茶」で記憶される少年(2000年の時点で17歳、1983年生)、秋葉原無差別殺人事件の加藤智大(1982年生)、2012年パソコンの遠隔操作事件の片山祐輔(1982年生)などの世代であると指摘する。

佐藤喬著『1982 名前のない世代』宝島社

 佐藤は、この世代が実は2000年前後、「キレる17歳」として社会問題化されかけていて、西鉄バスジャック事件だけでなく、豊川市主婦殺害事件や岡山金属バット母親殺害事件などの殺人事件の犯人も1982年生まれの犯罪であったとする。

 つまり少年Aやネオムギ茶に至る、前世紀末の「17歳」の犯罪少年と、ここ数年のロスジェネ世代と結びつけられがちな一群の事件は「同世代」の起こしたものなのだ。いわば、彼らは成長過程で二度、世相の表層に突出してきたが、同時に彼らがいかに長く、この国の中で損なわれ続けてきたかがうかがえる。

 実はその時、思い起こすのが前回で扱った1960年の「17歳」たちである。

 田中清松という無名の批評家に『戦中生まれの叛乱譜』という注目すべき批評がある。

 田中は1960年前後の「恐るべき17歳」世代は山口二矢、小森一孝らに加えて少し後のライシャワー米大使刺傷事件の塩谷功和らだけではないとする。つまりこの「17歳」は1970年前後の新左翼のリーダーたちの世代でもあると指摘する。

 即ち山口二矢と「投石少年」、永田洋子、森恒夫、奥平剛士、重信房子らが実は同世代だったと指摘するのだ。

 具体的には、「17歳」の山口二矢は1943年生、塩谷は1945年生。一方、1970年の新左翼たちは森恒夫が1944年生、永田洋子、奥平剛士、重信房子が1945年生、である。

 このうち重信だけが1945年9月生、つまり敗戦直後の生まれで、後は「17歳」も「新左翼リーダー」も同じ戦争末期の生まれ、つまり「戦中派」なのだ。

 これに三島由紀夫を介錯、自死した森田必勝(1945年7月生)を加えたのがこの世代の輪廓である。

 そしてこのことを指摘した田中清松も1944生まれである。

 先の佐藤と同様、時を隔てて二人の批評家が同じように「17歳」としての同世代を発見している。それは同時代を同世代として生きた実感に支えられている。

 1970年前後の新左翼運動は戦後生まれの団塊世代の政治運動のように思われがちだが、実際に組織を率いていたのは「恐るべき17歳」世代であった。

 いわゆる団塊世代はといえば、1960年代末の学生運動に関わった者たちは、坂本龍一から鈴木敏夫まで、それ以降のポップカルチャーの担い手が登場し、村上春樹もまたデビュー当時は全共闘運動の敗北を暗喩として抱く作家として読まれたことは一世代下のぼくは覚えている。印象論でしかないが「戦中生まれ」に対し「団塊世代」は数年の生年の差で政治的変節への圧倒的な軽さ(ヽヽ)があり、その軽さや浅さが昨今の高齢団塊ネトウヨとも重なりはする。

宮崎勤と少年Aの残した「ことば」

 ここから、バブル前の1982年と敗戦前の1945年の二つの時代の変節点の直前に生まれ、転換後の恩恵を浴びなかった世代をリンクさせて、戦後史とポストモダン史のパラレルな関係を語ることは可能かもしれないが、それは山上や木村について語るなという同調圧力に耐えかねている、彼らと同世代の者たちの仕事だろう。

連行される山上徹也容疑者 ©文藝春秋

 だから、1982年生まれの犯罪についての最小限の論点だけ、記しておく。

 それは彼らの世代が成長するにつれて、怒りの向かう先は当然だが、「社会」へと拡大し、しかし、それに対して「社会」の本質的な変容とでもいうべき問題が、新たに輪郭を結んでいく、ということだ。

 まず、彼らが十代であった時に神戸児童殺傷事件の少年Aの犯行がそうであったように、その冗舌な犯行声明とは別に「社会」的な動機は見えにくい。衝動だけがある。

「殺してみたかった」というその後、繰り返される動機だけは確かめられるが、しかし、それは彼らがぼくのまんがに出てくるサイコパスであるという意味ではない。彼らのことばが未熟で「社会」に向かわなかったからだ。だから、この「殺してみたかった」という動機の蔓延もまた、彼らの動機について考えることから私たちをサボタージュさせている。

 そうやって「考えなくていい」と囁く社会がつくられている。

 彼より上の世代だが、ぼくが公判に関わった宮崎勤を始め1990年代の殺人青年はしばしば犯行前に書きかけの未熟な、そして未完の小説を残している。つまり「動機」を言語化しかねている。

 この「社会」と結びつかない2000年当時の17歳の殺意は、ありふれた事態として卑近の家族にも向けられる。

 ではこの世代にとって「社会」はどういう姿として出会うことになったのか。

 氷河期世代として彼らの像とは少し違う姿を年寄りである僕は描いてみることにする。

バスジャック・『黒子のバスケ』事件・京アニ事件

 少年Aの事件の時点では彼のことばは奇妙な犯行声明によって発信されたが、それを扱うのは旧メディアであった。

 しかし、バスジャックのネオムギ茶の時点では、2ちゃんねるの掲示板が彼のことばを発信する場として見出され、そのオンライン上のコミュニティで犯行へと追いつめられていった印象がある。この二つの事件の発信方法の違いは、旧メディアとオンラインという違い以上に、彼らが意識する「社会」の交代が成長の過程で起きたことの反映のように思える。オンライン上で煽られて犯行へと至る過程は加藤智大も同じであるが「社会」と出会う前に、彼らはオンラインのコミュニティと出会ってしまっている。

 今のSNSが自明の世代には実感しにくいかもしれないが、パソコン通信あたりに始まるオンライン上のコミュニティは旧「社会」に替わるもう一つの社会の登場というより、実感し得なくなっていた社会の「代替」であった。彼らの直接の犯行の対象はオンラインの人々と全く関わりのない人々へと向かうが、その犯行には自分たちを疎外したオンラインコミュニティへの度の過ぎたマウントとしての印象がある。

 そしてこの世代がさらに成長する中でオンラインだけでなく、現実の「社会」から疎外される者たちが現われる。

 しかし彼らがそこで捉えた「社会」もまた、それまでとは異質のものだった。

『黒子のバスケ』事件から京アニ事件へと至る文脈としてあるのは、彼らを疎外している経済システムに対してテロルを仕掛けたことだ。経済システムというと彼らがマルクス主義者のように聞こえるかもしれないが、無論そうではない。

 彼らはマルクス主義が想定し得なかった経済システムに疎外されていた、といえる。

 コンテンツ企業やオンライン企業の人々はよく「エコシステム」という言い方をするが、この「エコ」はエコロジーではなく、エコノミーである。つまりコンテンツやアプリを消費させマネタイジングする仕掛けだが、受け手の「消費」をコンテンツのクリエイティブへの参加と錯誤させるのが特徴である(品のないカタカナことばが並んで申し訳ないが、そういう「業界」の話なのでご容赦願いたい)。そこは擬似的なつくる喜び、参加する喜びが「消費」にすり替わる、という泥沼である。

 渡邊であれば『ジャンプ』やアニメ、コミケ、青葉であれば京アニのアニメ群やラノベの新人賞といった、集英社や京アニの人々は使わないだろうが、KADOKAWAあたりでは露骨に使うオタク消費的なエコシステムが実はテロルの対象となったとぼくは考える。

 何故なら、このエコシステムが彼らにとって最も実感できる、あるいは唯一の「社会」だったからではないか。

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source : 文藝春秋

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