アメリカの会社が開発したチャットGPTというネットサービスが大評判だ。インターネット上にある膨大なデータを学習していて、利用者が言葉で指示すると、「模範的」な回答やプログラムを直ちに作成してくれる。余りに便利で有能だから、宿題にこれを利用する学生が急増しているらしい。最近ある教授は学生の「完璧すぎる」宿題に不審を覚え、チャットGPTに「この宿題にはチャットGPTが使われたか」と尋ねたら、「九九・九%の確率でそうだ」との回答が返ってきたという。こうした利用者が激増したため、欧米の教育界では利用を当面禁止する動きが急拡大している。
事務連絡、会議の資料や報告の文書、申請書や推薦文、スピーチ原稿、広告文や案内文などの作成はこれでほぼ足りてしまいそうだ。ホワイトカラーの仕事の多くはこれで肩代りされるから生産性は大いに上がるだろう。世界中に広まるのは時間の問題だ。チャットGPTの登場に専門家達は色めき立ち、大量の失業者が出るのではないかと言っているが、私は冷めている。情緒がないから、中学生なら誰でも知っている「三角形の内角の和は一八〇度」さえ発見できないし、一分間に一万の俳句は作れても、その中から一番よいものを選べないからだ。それに私なら断然、賢いAIの待つ居酒屋より可愛い店員のいる店へ行く。
ただし大きな心配が三つほどある。一つは著作権など知的財産権である。いずれ新聞や書籍などあらゆる著作物を学習し、顧客の指示により一部や全体をそのまま、あるいは要約して提出するだろう。新聞社や出版社の存立は直ちに危うくなる。著作権で生きている著者も干上がる。私は『日本人の誇り』を書くのに近現代史の本を百冊以上も読んだ。父の絶筆を書き継いだ『孤愁〈サウダーデ〉』では、父の訪れた所はすべて行こうと、ポルトガルへ三回、徳島へ十数回、さらにマカオ、長崎、神戸へと取材を重ねた。父が目を通したすべての関連文献、五千ページ以上を熟読した。完成に三十年もかかった。著作権がなくなった時、こんな苦労を要する仕事に携る物好きがどこにいるだろうか。
二つ目は個人や企業や国家の秘密情報が公になったり、匿名を利用してのフェイク情報、人権侵害、名誉毀損が氾濫することだ。倫理違反や犯罪行為を察知すると回答を拒否する機能をつけても、それを解除するソフトがすぐに作られるからいたちごっこだ。
三つ目はチャットGPTには「校閲」がないことで、実はこれが最も本質的で深刻な懸念である。価値判断のできないAIにとっては、どこかのアンチャンがSNSに書き散らした野卑な文章も、私が『文藝春秋』に書くような、正確無比含蓄深遠で、抒情詩情劣情に溢れた名文も同列になる。大手出版社はどこもしっかりした校閲部を有していて、書かれた文章の国語上の誤り、事実との相違を一次資料に基づき根掘り葉掘り徹底的に確認している。
ある時、私はこう書いた。「子供の頃に父と観た西部劇『シェーン』の中で、主役のシェーンはジャックパランス演ずる悪漢にウィスキーをぶっかけられたが、その時シェーンが発した言葉、『調子づくなよ』が私の大のお気に入りで、ガキ大将の私はこの言葉で周囲を手当たり次第威嚇した」。校閲は実際にその映画を見て、ぶっかけたのは他の脇役であると、その場面を画像で送ってきたのだ。余りの徹底した調べ方なので、私などは陰で校閲部を「変人の巣窟」と呼んでいる。
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source : 文藝春秋 2023年7月号