国家が戦争へ突入するとき
海軍軍人で天文学者、キリスト教徒でもあった人物の生涯を軸に、戦争へと突き進んでいく日本を描く。個人の生と死にとどまらず、彼が生きた時代ごと小説の中に再現しようとする、読みごたえのある歴史小説である。
主人公は秋吉利雄。池澤氏にとっては祖母の兄にあたる人だ。クリスチャンで、聖公会の日曜学校で教えたこともある。
海軍では水路部に所属し、南洋での日食観測事業も成功させている。ふり返れば、このローソップ島での日食観測の成功が、軍人で天文学者である利雄の、職業人としてのピークだった。
国家が戦争へと突入する際に、軍人、科学者、キリスト教徒であることは、その人の悩みを深くする。利雄は「自分が分裂している」と感じる。基本的に非戦論者で、できることなら戦争は避けるべきと考えているのに、開戦を止める力は一軍人にはなく、結果的に真珠湾の奇襲計画にも関与することになった。戦艦ではなく、陸での生活を選びはしたが、みずから手を下すことはなくても、自分に戦争責任がないと言うことはできない。
史実に即しているが、昭和天皇や山本五十六や聖路加病院の医師日野原重明といった人たちと利雄との間で、もしかしたら交わされたかもしれない会話も描きこまれている。親友で、戦死する加来止男も実在した軍人だが、もう一人の、Mとしか名前が与えられていない親友だけはどうやら架空の人物であるらしい。
Mも軍人で、後々歴史を書くべく、戦争中も資料を集めているという設定だ。利雄らふつうの軍人が知りえない情報も知っていて、折に触れ利雄に伝えてくれる役割を与えられている。敗戦後にMに用意されているのは痛ましい運命で、これは、近代史をたどり直した著者からの警告なのだろう。
物語の中で、輝くばかりの存在感を示すのは女性たちだ。「一族の女たちはなんでも自分で決めてどんどん動く」と利雄が言うように、妻となった従妹のチヨ、チヨの死後に再婚したヨ子、利雄の妹のトヨ、利雄のまわりの女性たちは、自分の意志をはっきり持ち、行動力がある。軍隊という完全な男性社会にいながら彼女たちと伴走することもできた利雄は、すぐれて柔軟な精神の持ち主だった。
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source : 文藝春秋 2023年7月号