明治天皇(1852年〜1912年)
陸奥宗光(1844年〜1897年)
林 達夫(1896年〜1984年)
下河辺 淳(1923年〜2016年)
庄司 薫(1937年〜)
現代では、何かものを発信する時、また何かを成そうとする時、多くの人がその近道を探している。SNSがこれだけ発達したのも、それが物事をすぐに発信できる場であるからに他ならない。また最近はChatGPTなどのAIチャットサービスが度々話題になるが、これも物事を考える手間を省くツールである。もちろんこうした機能が様々な分野の発展に貢献していることを否定するつもりはない。しかし我々が近道だけを求め、熟慮することを疎(おろそ)かにした結果、世の中ではフェイクニュースがあたかも真実のように広まり、分断を煽る短絡的な言説が溢れている。
また、政治家の失言や良識に欠けた行動に代表されるように、一度立ち止まって正しい道を選ぶ手間を惜しむ人々があまりに多いように思う。
現在のこうした状況をふまえて、私は「代表的日本人」に、ある共通点を有する5人を選んだ。
後戻りしない明治天皇
近代の皇室について語られる時、明治天皇にスポットライトが当たることはそれほど多くない。しかし実は明治天皇は、近代の立憲政体の確立に非常に積極的に関わっている。言い換えれば、明治天皇なしに明治憲法体制は確立できなかったのである。皇室のあり方や天皇制が大きく変わってきた今、このことを改めて取り上げる必要があると考え、「代表的日本人」の1人目に選んだ。
明治22年に発布された大日本帝国憲法だが、当時誰もがこの憲法に賛同していたわけではない。特に宮中の保守派には、隙あらば天皇自らが政治を行う親政に戻したいと考える人が少なくなかった。日本にとって初めての憲法体制は、施行後も様々な問題が浮上し、行き詰ることがしばしばあった。彼らはその度に憲法廃止を進言するが、明治天皇は断固としてそれを受け入れようとはしなかった。
試行錯誤が重ねられる中で、大きな混乱が生じる度に時の首相が「これではできません」と天皇に泣きつくこともあったが、明治天皇が立派なのは「では元の制度に戻そう」などと後戻りすることが一切なかった点だ。急激に西洋から入ってきた憲法や議会といった制度は、もちろん天皇にとっても未知のものだった。しかし何が正解か分からないながらも、維新という動乱の末に新政府が作り上げたこの制度を、うまく育てていかなくてはだめだということを天皇は直感的に分かっていた。
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source : 文藝春秋 2023年8月号