竹内理三(1907年〜1997年)
信時 潔(1887年〜1965年)
蜷川幸雄(1935年〜2016年)
草間彌生(1929年〜)
小林カツ代(1937年〜2014年)
あくまで個人的な視点から、私の人格形成の糧となり、心の支えになってくれた先達たちをご紹介しよう。
まず、私の専門である歴史学の分野から、誰もがお世話になっている素晴らしい研究者をあげる。竹内理三(1907〜1997)である。愛知県に生まれ、東京帝国大学に進学。文学部国史学科で奈良時代の寺院経済を研究し、1930年に卒業後は同大史料編纂所に勤務した。一時九州大学に移るが、1959年に史料編纂所に戻り、1965年から68年3月の定年退官まで史料編纂所長を務める。その後は早稲田大学で教鞭をとった。
竹内の研究は、上代寺院経済史から寺領荘園の研究へと発展し、さらに古代・中世の荘園史・政治史へと展開していった。昭和初期の皇国史観と唯物史観の対立の中で、実証的な社会経済史学を確立し、律令的制度が揺らいで、中世社会が生成する過程をあきらかにした。
研究とあわせて、偉業としてあげられるのは史料集の編纂である。竹内は「歴史は、すべて史料によって叙述されねばならぬ。史料にもとづかないで、歴史らしく叙述されたものは、神話であり、伝説であり、小説であって、それは思考の産物であって、歴史ではない」(「史料・史書・史論」)と述べている。すべての研究者が等しく史料に接することができるよう、独善を排した、地に足のついた歴史叙述がかなうように、各地に伝わる古文書等の史料を活字化し、書物として刊行したのである。論文は百年後には忘れられてしまうかもしれないが、史料集は多くの人に活用され続けるだろう――とも話していた。不要になったチラシや校正紙の裏面に、寸暇を惜しんで古文書を筆写し、すべての作業をほぼ独力でこなしていた姿を、多くの後輩が語り伝えている。
竹内の最初の史料集は1943〜44年の『寧楽遺文』上下巻だ。ある研究者は、学徒動員で配属された地方の町の書店で、その下巻を買い求めた。戦地に赴かねばならぬ身で、研究の継続は望むべくもなかったが、「ただ眺めるだけで心いやされる思いがした」と回顧している。
続けて『平安遺文』15巻、『鎌倉遺文』51巻を刊行している。それぞれの時代の古文書等を、体系的に並べた網羅的な史料集である。これらが研究者と研究の進展にもたらした恩恵ははかり知れない。『鎌倉遺文』の開始は1971年、還暦を超えての新事業であり、25年を費やして完成させた。
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source : 文藝春秋 2023年8月号