高橋是清(1854年〜1936年)
田中耕太郎(1890年〜1974年)
吉田 茂(1878年〜1967年)
佐藤栄作(1901年〜1975年)
吉田健一(1912年〜1977年)
内村鑑三の言う代表的日本人は、「典型的」日本人でもなければ、誰もが認める英雄でもない。西洋ひいては世界と対峙しつつ、日本社会の持ち場で課題と責任を担った人々である。だとすれば、内村が思索を重ねた明治期と、令和の今とでは、人選はやはり異なってくるだろう。ここでは政治分野に焦点を当てつつ、20世紀に活躍した人物を取り上げてみたい。
20世紀とは、政府の巨大化と大企業の登場という巨大組織の設計と運用が問われた時代である。いずれも巨大な制度であるがゆえに、高度な専門知が必要となる。また専門知が高度であるが故に、それを鍛えるべく、批評知も必要となる。大衆民主主義が広まったこの時代、専門知は批評知に裏打ちされることで、転変する政治を支えたのである。
そうした時代を代表する日本人として、ここでは、高橋是清、田中耕太郎、吉田茂、佐藤栄作、吉田健一の5人を挙げたい。いずれも西洋を現地で観察し、これと対峙して日本の政治を見定めつつ、経済・文化など諸分野も含めて活躍した。専門知を基礎にしながら、これを批評する眼力を養い、何事かをなしとげた。
世界の経済界と交流した高橋是清
まず高橋是清は、明治期には日本銀行の副総裁・総裁として日露戦争のための外債発行を主導するなど金融界を牽引し、大正・昭和期には、大蔵大臣を長きにわたって務めた財政家であった。原敬首相暗殺後には事態を収拾するために蔵相から首相に就任し、政友会総裁ともなった。もっとも政党政治家としての経験は十分とは言えず、清浦奎吾内閣の衆議院解散を前に、護憲三派の一角に参加すると、党の分裂を収拾できず、結局総裁を陸軍出身の田中義一に譲った。
「破顔一笑」「大に笑う」――高橋はしばしばこう描かれた。若い時期に英語に熟達し、アメリカに渡航したり、ペルーで銀山経営に手を染めたりする高橋は、ことのほか楽天的な経済人であった。
しかし、財政家としての高橋は、一貫して軍事費の膨張には警戒し、軍部への厳しい批判者であった。それが如実に表れたのが、首相経験者としての高橋に再登板を促した大恐慌後の経済不況期である。犬養毅内閣以降、大蔵大臣を歴任し、ケインズ経済学の登場以前に、実質的にそれと近い積極財政政策によって、他の国々と比べて早い段階で不景気から脱した。その財政政策は満州事変後の軍事支出増大をまずは容認し、戦争が長引くにつれて、支出増大を押さえようとする。
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source : 文藝春秋 2023年8月号