車体には「亜紀命」の文字が——(インタビュー・構成 真保みゆき・音楽ライター)
レコード・デビューして今年で53年目。およそ半世紀にわたって「演歌の女王」の座をほしいままにしてきた八代亜紀だが、近年の活動ぶりはちょっと意外なくらい軽やかだ。東日本大震災の翌年、2012年には初のジャズ・アルバムを発表。以来、演歌とジャズの両輪で歌うようになったかと思えば、2020年には動画配信チャンネルまで開設。時代の動向に、ごく自然に照準を合わせている。コロナ禍の影響で本来なら50周年という「節目」となるはずだった2020年に活動を抑制せざるを得なかったが、ご本人はあくまでも天真爛漫。大御所らしからぬ可愛らしさが、鮮やかな記憶力の端々からのぞく——。
何十年経っても昔の記憶が鮮やかなのは、絵を描くのが好きだったことと関係しているのかもしれません。子供の頃から描いていましたから、歌よりも先ですね。画家を志していたことのある父にくっついて、(故郷である熊本県の)球磨川にスケッチに出掛けると、父が「見てごらん、アキ。もうすぐ汽車が来るよ」って。鉄橋のトンネルを見ていると、SL列車がブォーッと煙を吐きながら球磨川を渡っていく。父の言葉とともに、鮮明に覚えているんです。
当時は本当に引っ込み思案でね。浪曲が好きで自分でも歌っていた父の影響で、親戚の人が来ると私もよく歌わされたんだけど、それはお母さんがご褒美に10円くれたから(笑)。でなければ歌えないくらい人見知りでした。自分の声も好きじゃなかった。これも父譲りなんですけど、子供の頃からハスキーだったの。小学校の音楽の授業で、先生から「そんなませた声で歌うものじゃない」と言われたりして、子供心に自分の声にコンプレックスがありました。
振り出しは「バスガイド」
そんな私が12歳で「歌手になりたい」と心に決めたのは、ひとえにお父さんを助けたいと思ったから。その頃、父は運送会社を立ち上げたばかり。資金繰りに苦労しては、月末になると悲しそうな顔をしているのを目の当たりにしていました。父のことが大好きだったし、手に職をつけるというか、とにかく早くお金を稼がなければと子供なりに一所懸命考えたんです。
小学校5年生の時、父が買ってきたジュリー・ロンドンのLPの影響も大きかった。浪曲オンリーだったはずの父が、なんでジャズ歌手のレコードを買ってきたのか、今でも不思議なんですけど、彼女の低い声もジャケットで着ているドレスも素敵でした。聞けば、「ジャズ歌手というのは綺麗なドレスを着て、クラブで歌うものなんだよ」って。「これだ!」と思いました。
中学を卒業して、まず地元の観光バス会社に就職。バスガイドの道に進んだのも15歳の子供なりの青写真があって、「クラブシンガーになりたい」なんて言おうものなら、反対されるのは目に見えていたわけ。下手すれば家から出してもらえなくなる。でもバスガイドさんなら人気の高い仕事だったし、父も反対しづらかった。しかも観光案内しなきゃならないから、人前でしゃべる訓練にもなる。一石二鳥だなと(笑)。子供なりの知恵ですね。
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source : 文藝春秋 2023年8月号