上杉鷹山 私の代表的日本人

第2回

藤原 正彦 作家・数学者
ライフ 歴史

──「民の父母」たる名君主

 福島で通勤電車より遅そうな山形新幹線に乗り換え四十分弱、私は秋陽の影がすっかり長くなった米沢駅に降り立った。駅前で拾ったタクシーは、閑散とした町をあっという間に通り抜けた。中小地方都市の駅前商店街はどこも、大店法廃止以来、シャッター通りと化してしまったのだ。あの上杉鷹山が心を尽くしたこの米沢の姿に義憤を、そして淋しさを感じた。タクシーは車の少ない通りを疾走し、まもなく山道を登り始めた。十一月下旬の米沢は寒く、人家も車もほとんど見えなくなり、さらに登ると辺りは深い霧で覆われ視界も三十メートル程度となった。三十分余り走ると暗闇の中からひなびた温泉街がぬっと現れた。白布温泉だった。私は数軒ある旅館の一つに投宿した。

 旅館の主人に東日本大震災での被害について尋ねると、「ここは大丈夫でした。ただ、山形県の温泉は五千名以上の被災者をほぼ実費だけで泊めていました。この旅館も福島県からの被災者でいっぱいでした」と事もなげに言った。私は主人の温顔になぜか手を合わせたいような気分になった。山形は彼等の住居や短期就職の斡旋までして支援したという。惻隠の情の篤い土地柄のようだった。

 

 山形米沢藩の九代藩主上杉鷹山は、アメリカのケネディ大統領が「最も尊敬する日本人」として挙げたとされる賢君である。内村鑑三が一八九四年に英語で著した『代表的日本人』の中で、西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮、上杉鷹山の五人を挙げたからそれを読んだのだろう。この本は日清戦争中に書かれたもので、「日本人は盲目的忠誠心と狂熱的愛国心を持つ好戦的な蛮人」という海外での誤解を解こうとしたものであった。

 上杉鷹山は、日向高鍋藩主秋月種美の次男として一七五一年に生まれた。秋月家は、関ケ原の戦いで大活躍し、福岡藩初代藩主となった黒田長政の血を引く名家である。幼いころから明晰な頭脳と思いやりや孝心で評判だったため、八歳で米沢藩主上杉重定の養子となり世子(跡継ぎ)となった。鷹山の祖母が上杉家から嫁入りしていて、世子となる男子のいない甥の重定に、「うちに出色の孫がいるからどうだい」と推薦したのだった。六歳で母を失ってから沈んだ気持でいた鷹山にとって、やさしい祖母の実家に養子として入るのはうれしかった。三万石の田舎大名の次男が、十五万石の、上杉謙信から始まる格式高い名家に世継ぎとして入ったのである。大出世と周囲の皆から祝福された鷹山であったが、実はそれほど甘い話ではなかった。米沢藩はその頃、財政悪化に悩む諸藩の中でも抜きん出て悪い、ほとんど破綻状況にあったのである。

上杉鷹山

 越後から北信濃までを治めていた上杉謙信の甥であり跡継ぎとなった上杉景勝は、豊臣秀吉により、慶長三(一五九八)年、東北諸大名の抑えとして会津百二十万石に加増のうえで移封された。ところが上杉家にとって不運なことに、その年に秀吉が死に、さらに二年後の関ケ原の合戦で、秀吉に恩義を感じた上杉家は石田三成側につくという決断をした。その結果、徳川家康の不興を買い、米沢三十万石に減封されてしまったのである。この時、上杉景勝は譜代の家臣六千名を手放さず会津から米沢へ移った。戦国大名として家臣を大事にするのは当然のことだったが、石高が四分の一になったのに家臣団の数が同じなのだから財政は悪化する。それでも三代目までは年貢率を上げることもなくどうにかしのぐことができた。越後以来の御囲金(おかこいきん)、すなわちいざという時の貯蓄が上杉家に豊富にあったからである。

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source : 文藝春秋 2023年9月号

genre : ライフ 歴史