大伴家持(718年頃~785年)
空海(774年~835年)
本居宣長(1730年~1801年)
宮沢賢治(1896年~1933年)
西田幾多郎(1870年~1945年)
今日的観点から「代表的日本人5名」を選んでもらいたい、という本誌編集部からの依頼を即座に引き受けたものの、結構、難しい。10名なら比較的すぐに名が浮かぶものの、それを5名に絞るのは思いのほか難題である。
戦後10年たったころに小学校へ入学した私の子供時代には、少年少女向けの「日本の偉人伝」というようなシリーズの書物があり、野口英世、北里柴三郎、二宮尊徳、それに織田信長、源義経などの名前があがっていた。楠木正成や乃木希典もあったかもしれない。戦後とはいえ、どこか戦前の残影があったのであろう。まだ「日本の偉人」という言葉がありえた時代である。
内村鑑三が『代表的日本人』を英語で出版したのは1908年。日本は日露戦争の勝利と国際的地位の向上に、意気揚々とナショナリズムを高揚させている時代である。もっとも、本書のもととなる論考の初版は1894年、日清戦争の真っ最中であった。
日露戦争に反対の論陣をはった内村は、日本人に対する愛着は冷めてしまったが、それでも日本人の美点に目を閉ざすことはできない、として本書を英文で発表した。内村にとって、日本人の美点とは、決して無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心ではなかった。もっと別の美点が日本人にはある、それを海外の人に知らしめる必要がある、という。
その美点を知らしめるために内村が選んだ代表的日本人5人(西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮)は、今日からしても絶妙な選択といわざるをえない。しかも、彼は、宗教というものをキリスト教の宣教師から学んだのではなく、それ以前から、日本人としての生き方や道徳を彼は学んでいた。上にあげた5人は、内村にとっては、キリスト者になる以前からすでに血肉になっていたのである。
こういう自分の血肉になったような「日本の偉人」を名指しすることは、おそらく私だけではなく、西洋の思想、文学、音楽などに親しんで育った戦後生まれの多数派には結構な難問ではないだろうか。明治の近代化における西洋文化の導入の背後には、まだ江戸の儒学・漢学や古典が息づいており、諭吉にせよ、漱石、鷗外にせよ、そのはざまに生きる者の葛藤を経験していた。だが、政治、経済から芸術、文化に至るまで、ほぼ無条件というべきアメリカ礼賛となった戦後日本の風潮のなかで「代表的日本人」を掘り起こすという試みは、とりもなおさず「日本的精神の発見」ということと同義になるだろう。
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source : 文藝春秋 2023年8月号